第248夜「碁盤斬り」白石和彌監督
白石和彌監督にインタビュー取材をしたのは2013年の9月だったから、今から11年前のことになる。「凶悪」(2013年)の公開を控えたころで、まだデビューしたての若手監督だったが、「今の日本映画は、エンターテインメントとはすなわち泣けることで、社会の闇を描くことを避けている。でもそれは僕が思っている娯楽映画とは違う。どんな題材であれ、社会との接点はあるべきだし、主人公が生きている時代や作り手が置かれている状況を掘り下げていかないと。それを誰もやらないのなら、チャンスだなと思っています」としっかりと前を見据えていた。
それからあれよあれよという間に引っ張りだこの存在になり、今や日本を代表する映画監督の一人と言って差し支えないだろう。しかも「日本で一番悪い奴ら」(2016年)といったバイオレンスものからロマンポルノの「牝猫たち」(2016年)、青春群像劇の「止められるか、俺たちを」(2018年)と、手がけるジャンルは実に幅広い。それでいてすべての作品に白石印が色濃く刻み込まれているから、さすがとうなるしかない。
そんな白石監督が初めて時代劇に挑んだ作品が「碁盤斬り」だ。それも大仰な合戦シーンもなければ、華麗なチャンバラも乏しい。何しろ題材が囲碁で、古典落語の人情噺を基にしているというから、いかにも地味で素朴なイメージだが、そこは白石監督だ。手に汗握るエンターテインメントの世界がシネマスコープサイズのスクリーンいっぱいに広がっていて、最後まで興奮しっ放しだった。
主人公は江戸の貧乏長屋に住まう浪人、柳田格之進(草彅剛)。かつては彦根藩に仕える腕の立つ剣士だったが、無実の罪を着せられた上に妻も失い、娘のお絹(清原果耶)とつましい毎日を送っていた。どこか孤独の影をまといながらも穏やかな風情の格之進のたしなみは囲碁を打つことで、碁会でも実直な人柄と同様、正々堂々とした勝負を挑む。そんなある日、碁会で知り合った大店の主人、萬屋源兵衛(國村隼)との対局中、50両という大金が店から消えるという事件が起こる。手代の弥吉(中川大志)からあらぬ嫌疑をかけられた格之進は……。
映画は、この萬屋での金子紛失事件と彦根藩を追われることとなった過去の因縁とを並行して描きつつ、さまざまな人間模様が複雑に絡み合ってクライマックスへと突き進んでいく。この2つの物語を同時進行で展開させる話法が何とも巧みで、それぞれ別のエピソードながら、交錯させることによって格之進はじめ登場人物の人格や関係性が次第に確固たる形になってくるから見事というほかない。
どちらのエピソードもミステリー仕立てになっていて、萬屋の一件に関しては置屋の女将(小泉今日子)からお絹をかたに50両を借金し、期限までに返すことができなければお絹を遊女にするという約束を交わす。清廉潔白な格之進が大金をくすねることなどないとは思うものの、本人はもう一つの案件、藩を追われる原因となった宿敵の柴田兵庫(斎藤工)を探すことに躍起になっている。おいおい、あの50両はどうなったんだ、と気をもみつつも、諸国の碁会を回って兵庫の行方を必死に追う格之進の闇の部分にどんどん心が奪われていく。もやもやとどきどきとわくわくとがいっぺんに押し寄せてくるようなスリルがもうたまらない。
その興奮をもたらす魅力の一つに、格之進を演じた草彅剛の鬼気迫る演技がある。前半の本当に和やかで泰然とした囲碁好きのキャラクターから一変、終盤の鬼の形相に至るまでの振り幅の大きさにはあっけに取られるばかりだ。殺陣のシーンはそんなにはないものの、太刀の構えなどは剣の使い手であることを物語る堂々たるもので、さすがはアイドルとして一世を風靡しただけのものを背負っている。NHKの連続テレビ小説「ブギウギ」でも飄々としたたたずまいと凛とした表情の演じ分けが見事だったが、これからますます目が離せない俳優であることは間違いない。
清原果耶をはじめとする共演者もこの世界観に自然に溶け込んでいるし、何よりも美術セットが素晴らしく、実景でのロケを含めてもう江戸時代にしか見えない。衣装も吉原の遊女などものすごく再現度が高いし、遠くまで見通せるカメラワークで引きも寄りも変幻自在に映し出す。囲碁という動きの少ない題材を基に、しかもともすれば現実社会と乖離する危険性のある時代劇の様式で、今日性も盛り込んだこれぞエンターテインメントという映画を作り上げるとは、白石監督が引っ張りだこなのも当然だろうね。(藤井克郎)
2024年5月17日(金)、東京・TOHOシネマズ日比谷など全国で公開。
©2024「碁盤斬り」製作委員会
白石和彌監督「碁盤斬り」から。柳田格之進(左、草彅剛)は娘のお絹(清原果耶)と江戸の貧乏長屋で暮らしていた ©2024「碁盤斬り」製作委員会
白石和彌監督「碁盤斬り」から。復讐を誓った柳田格之進(草彅剛)は…… ©2024「碁盤斬り」製作委員会