第235夜「哀れなるものたち」ヨルゴス・ランティモス監督

 決して心地よくはないんだけど、なぜか心を捉えて離さないという映画がある。ギリシャ出身の鬼才、ヨルゴス・ランティモス監督の作品なんてまさにそういうタイプで、「ロブスター」(2015年)も「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」(2017年)も「女王陛下のお気に入り」(2018年)も、うわーってなる場面の連続だが、どうしても目をそらすことのできない不思議な魅力に満ちていた。それが証拠に「ロブスター」はカンヌ国際映画祭で審査員賞、「聖なる鹿殺し」もカンヌで脚本賞、「女王陛下のお気に入り」はベネチア国際映画祭で審査員大賞と、いずれも高い評価を受けている。

 で、今度の新作「哀れなるものたち」はベネチアで最高賞の金獅子賞に輝いた。ついに頂点を極めたわけだけど、やっぱり「うわーっ」ってなる場面のオンパレードだった。

 映画は鮮やかな青いドレスに身を包んだ女性(エマ・ストーン)がロンドンの橋の上から身を投げる場面から始まる。この女性は何者か、なぜ自殺を図ったのか、といった展開には当然なるはずもなく、川向こうの禍々しい灰色の世界から画面はモノクロになり、やがてつぎはぎだらけの顔をした外科医のゴッドウィン(ウィレム・デフォー)が、くだんの身投げ女性=ベラに赤ん坊の脳を移植したというくだりに移っていく。

 このゴッドウィンの研究所の様子がとにかくえげつない。いわゆるマッドサイエンティストの典型で、庭には頭がガチョウで胴体が犬とか、頭が豚で胴体がニワトリとか、見るもおぞましい動物たちが行き交っているし、生まれ変わったベラも動きはぎこちないわ、しゃべりは舌足らずだわで、今回もどんな奇妙奇天烈な仕掛けが飛び出してくるのか、わくわくとぞわぞわが押し寄せる。

 ここから話は、ゴッドウィンの教え子のマックス(ラミー・ユセフ)との恋模様、ベラを見初めた弁護士のダンカン(マーク・ラファロ)との豪華客船の旅、などなど、ベラの冒険譚が繰り広げられるのだが、何しろ脳移植を施されたベラの異常な成長ぶりに、さまざまな画角で縦横無尽に迫りくるカメラワークに、場面ごとにどれだけ予算をつぎ込んだんだとあきれるほど見事な美術セットに、ともうあっけに取られるしかない、というのが正直な気持ちだ。

 どうやら原作があるらしく、スコットランドの作家、アラスター・グレイが1992年に発表した小説が基になっているようだが、果たしてどれだけ忠実なのか。まさにランティモス監督の底知れぬイマジネーションの海がスクリーンに展開されているといった感じで、撮影も美術も衣装も音楽も、そして役者も、よくぞこんな破天荒な想像世界に加担できたものだと感心する。

 モノクロで進行していた画面も、なぜか後半はカラーになってリスボンやアレクサンドリアなど世界各地に移っていくが、色とりどりの海岸沿いの風景に客船の絢爛たる内装、外海の不気味な波模様と、それぞれがらりと世界観が異なっていて、しかも徹底的に作り込まれている。ゴッドウィンが口から吐き出すまん丸の大きな泡など、何もかもがこの世のものとは思えないのに、でも完全に嘘っぱちのファンタジーというわけでもなく、時代色や土地柄などは妙に細かい。こんな映画を見せられた日には、もうこれ以上どんな映像世界を構築できるのか、この魔術を凌駕する隙など残っていないのではないか、と絶望感を抱く映画人が出てきても何ら不思議ではない気がした。

 さらに度肝を抜かれたのは、主役を演じたエマ・ストーンの途方もない演技力だ。ゼロ歳の脳からどんどん世間を吸収していって、最終的には高度な医学の知識まで身につけていくという変化を、まさにこんな感じという現実にはあり得ないはずのリアリティーで体現する。セックスシーンも盛りだくさんだが、それがベラの無垢さ、非情さを絶妙に物語っていて、説得力が尋常ではない。「ラ・ラ・ランド」(2016年、デイミアン・チャゼル監督)でアカデミー賞の主演女優賞を獲得しているストーンだが、2度目の受賞は確実なのではないか。

 1月23日にノミネートが発表された第96回アカデミー賞では、その主演女優賞を含め、作品賞、監督賞、撮影賞、美術賞など11部門で候補になった。ベネチア国際映画祭の審査員に続いて映画芸術科学アカデミーの会員がどんな評価をつけるのか、大いに注目したい。(藤井克郎)

 2024年1月26日(金)、全国公開。

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ヨルゴス・ランティモス監督「哀れなるものたち」から。ゼロ歳児に生まれ変わったベラ(エマ・ストーン)は…… ©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

ヨルゴス・ランティモス監督「哀れなるものたち」から。弁護士のダンカン(右、マーク・ラファロ)の寵愛を受けるベラ(エマ・ストーン)だが…… ©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.