第212夜「星くずの片隅で」ラム・サム監督
映画の中でも、もうすっかり新型コロナウイルス感染拡大後の世界が当たり前の風景になってきたが、強調されがちなのがコロナ禍で顕著になった現代社会の生きづらさだ。人間関係はぎすぎすし、ちょっとしたことでいらいらを爆発させるといった不寛容さが、邦画洋画を問わず一つのテーマになっていることが多い。
香港映画の「星くずの片隅で」も、コロナ禍真っただ中の香港を舞台にした作品だが、主人公の生き方はステレオタイプとはやや違う。ビルやマンションなどの清掃業務を請け負う会社を営んでいるザク(ルイス・チョン=張繼聰)はこれ以上ないというくらい人のいい人で、だからこの世知辛い世の中で大変な思いをする羽目になる。
会社と言っても、ザクが経営する「ピーターパンクリーニング」は社長が一人だけで作業に出かける極小企業だ。コロナ禍で需要が増え、消毒作業に追われる毎日だが、リウマチを患う母(パトラ・アウ=區嘉雯)のことも心配で、なかなか自分の時間が持てない。
そんなある日、ザクの前に幼い娘のジュー(トン・オンナー=董安娜)を抱えたシングルマザーのキャンディ(アンジェラ・ユン=袁澧林)が現れる。ちゃらちゃらした格好のキャンディに警戒感を抱くザクだが、仕事を探しているという彼女の訴えにほだされて清掃作業員として雇うことにするが……。
このキャンディのキャラクターが超真面目なザクとは正反対で、万引きはする、平気で嘘はつく、とモラルもへったくれもない。ザクに迷惑をかけても平気の平左で、何度も何度もやらかしてしまう。ザクもいい加減、我慢しきれなくなるが、それでもこの母娘を見捨てることができないというのがこの映画の肝だろう。
確かにコロナ禍で息が詰まりそうな毎日だし、人間の本性があらわになって、巷は嫌な人であふれ返っている。自粛警察のように他人の行動にとやかく口を挟む人ばかりで、ちょっとでも得をしている人がいたら寄ってたかって蹴落とそうとする。でもそんな世の中だからこそ最後まで信頼してくれる人がいてほしいし、きっとどこかにはいるはずだ。そんな願望を、これが単独初長編となるラム・サム(林森)監督は映画に込めたかったのではないだろうか。
このいささかおとぎ話のような展開にも、無理やり感なく受け止められるのは、キャンディ母娘の天使のような立ち居振る舞いのせいだろう。とにかく幼いジューを演じた子役のトンがせりふ回しも表情もめちゃめちゃ達者で、何でも許せてしまうというのも仕方がないかなと思わせる。母親のキャンディと一緒にゴムボールのプールで無邪気に遊んでいる場面など、いとおしさにあふれたいかにも映画的な映像でたまらない。
キャンディ役のユンにも目を見張った。モデルでもあり、オダギリジョーと共演した「宵闇真珠」(2017年、ジェニー・シュン、クリストファー・ドイル共同監督)では物静かな美少女を神秘的に演じていたが、今回は一転、底抜けに明るくチャーミングな笑顔を周囲に振りまく。でもこの笑顔の影にコロナ禍で疲弊した現状が見え隠れしていて、ぐっと現実に引き戻される瞬間があるからさすがだ。
ラム監督はドキュメンタリー畑の出身で、レックス・レン監督と共同で手がけた「少年たちの時代革命」(2021年)では香港の民主化デモを背景に、現在の香港に生きる少年少女の葛藤を活写したが、「星くずの片隅で」にも社会的な視点はきちんと込めている。コロナ禍で貧富の差が広がり、裕福な人はカナダ辺りに移住するという描写は、民主化の締めつけが進む現状への皮肉だろう。家族のぬくもり、人と人とのふれあいといった普遍性を柱に据えながらも、決して香港映画人としての使命をおろそかにはしていない。
日本公開に先立つ7月8日(土)には上映館の東京・ポレポレ東中野で先行上映会が開かれ、ラム監督とキャンディ役のユンが来日し、上映後に舞台挨拶を行った。ラム監督が「この映画を見て温かさを感じてもらえたらうれしい。何らかの力を得たならば、ぜひ周りの人にも進めてほしい」と言えば、ユンも「この映画には2種類の人間が出てきます。1つは最悪の世界に生きる人。そしてもう1つはザクのように他人を気遣う人。ぜひザクのような人になってください」と話し、来場者から大きな拍手を受けていた。
あまりにも寛容なザクのキャラクターは、ラム監督によると「これまでの人生の中で出会った人がモデル」だという。「自分はどちらかというとキャンディのようなタイプで、困難なことからは逃げがちだった。でもザクのような人たちに救われて生きてきた。本当にこんな人がいるのかと疑問を持つ人もいるでしょうが、私は必ず存在すると思う。ただそういう人たちをちゃんと見ていないだけなんです」
こう口にしたラム監督は舞台挨拶後、映画館の外にとどまっていた大勢の観客に対し、ユンとともに丁寧にサインに応じていた。監督だって、きっと寛容なザクに違いない。(藤井克郎)
2023年7月14日(金)からTOHOシネマズ シャンテ、ポレポレ東中野など全国で順次公開。
©mm2 Studios Hong Kong
ラム・サム監督の香港映画「星くずの片隅で」から。ザク(中央、ルイス・チョン)はキャンディ(左、アンジェラ・ユン)母娘と仲良くなるが…… ©mm2 Studios Hong Kong
ラム・サム監督の香港映画「星くずの片隅で」から。コロナ禍の真っただ中でキャンディ(右、アンジェラ・ユン)、ジュー(トン・オンナー)母娘の生きる道は…… ©mm2 Studios Hong Kong
先行上映会の舞台挨拶に臨んだラム・サム監督(左)とキャンディ役のアンジェラ・ユン=2023年7月8日(土)、東京都中野区のポレポレ東中野(提供写真)
先行上映会の舞台挨拶で、ラム・サム監督(左)とアンジェラ・ユンは会場からの写真撮影に気軽に応じていた=2023年7月8日(土)、東京都中野区のポレポレ東中野(藤井克郎撮影)