第211夜「遠いところ」工藤将亮監督

 映画の作り手にはよく、痛みを伴ってもこれを撮らざるを得なかったと語る人がいる。でも見る側にも痛みを求めるというか、映画を見るのも修行なのかもしれないと思える作品があることを知った。それほどこの「遠いところ」は見るのがつらい、でも決してそのつらさから目をそらしてはいけない、という必見の社会派人間ドラマに仕上がっている。

 舞台は沖縄県沖縄市のコザ。繁華街の一角にあるキャバクラで、17歳のアオイ(花瀬琴音)は年齢を偽り、親友のミオ(石田夢実)とともに朝まで働いていた。未成年ながらアオイには夫と子どもがいて、3人の生活費はアオイの収入で賄わなければならなかった。夫のマサヤ(佐久間祥朗)は建築現場の仕事を勝手に辞めて遊びほうける毎日で、幼い息子のケンゴを育てながら、アオイが歯を食いしばって家計を支えていたのだ。そんなある日、未成年を働かせていることがバレて、キャバクラが警察の摘発を受ける。

 やむなく昼の仕事を探すアオイだったが、なかなかうまくいかない。身勝手な夫は息子の面倒を全く見ないどころか、アオイに手を上げるようになり、やがて暴力事件を起こして被害者への示談金が必要になる。追い詰められたアオイが取った行動は……。

 というストーリーが、これ以上ないというくらいじとっと息が詰まるような映像で紡ぎ出される。これが長編3作目という工藤将亮監督は、決して風刺やブラックユーモアといったやわな表現で収めてはくれない。アオイの身に降りかかる災難を、極めて冷徹な視線でこれでもかと畳みかけるように描いてみせる。

 例えばアオイ母子の惨状を見かねて近づいてくる児童相談所の職員は、アオイに対して「大丈夫だから」と何度も繰り返す。でもいったい何が大丈夫なのか。アオイにとっては一つも大丈夫なことなどないし、何より大丈夫じゃないのはアオイだけではなく、この日本全体に言えることなのではないか。

 冒頭、キャバクラで働くアオイたちに、東京から来た客が「君いくつ?」と尋ねるところから、すでに日本全体を覆う病巣が盛り込まれていることに気づく。そう、この映画は沖縄を舞台にしているとは言え、決して沖縄の、コザの、一人の若い母親だけの物語ではなく、日本全国のどこにでもいる虐げられた人々の身に降りかかっている実態なのだ。でたらめな夫、冷酷な父、行方知れずの母、寄り添おうとしない義母、そして女性を食いものにする男ども。すべてが現代日本の象徴であり、児童相談所や警察のように偽善者はいても、本当に手を差し伸べてくれる人は一人もいないというのは、確かに今の現実の一面に違いない。

 本当に見ているのがつらくなる、まさに絶望しか感じられない映画だが、そんな過酷な中にもふっと垣間見せるとんでもなくスタイリッシュな瞬間が、また工藤監督の研ぎ澄まされた映像感覚を物語る。アオイが最も過酷な仕事に出かける車のフロントガラスに反射した街の明かりはこの上なく美しく、かえってアオイの葛藤と悲しみが強烈に心に響く。海岸の朝焼けの描写など、よくぞこんな映像が撮れたものだと感嘆せずにはいられない。

 オーディションで選ばれたというアオイ役の花瀬琴音のすさまじいばかりの存在感も見逃せないし、それに2歳のケンゴを演じた子役が実に達者なんだよね。健気な表情がより悲惨さを際立たせていて、改めてこの現実を真剣に受け止めなくてはならないと気づかせてくれる。まさに貴重な修行の場になった一本だった。(藤井克郎)

 2023年7月7日(金)からテアトル新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷など全国で順次公開。

©2022 「遠いところ」フィルムパートナーズ

工藤将亮監督作品「遠いところ」から。アオイ(左、花瀬琴音)は幼いケンゴを必死で育てるが…… ©2022 「遠いところ」フィルムパートナーズ

工藤将亮監督作品「遠いところ」から。アオイ(左、花瀬琴音)はでたらめな夫のマサヤ(佐久間祥朗)に振り回される ©2022 「遠いところ」フィルムパートナーズ