第160夜「ベイビー・ブローカー」是枝裕和監督

 是枝裕和監督には一度だけインタビューをしたことがある。1999年3月のことで、長編2作目の「ワンダフルライフ」を引っ提げてトロントや釜山、サンダンスといった名立たる国際映画祭に参加したときの話を、ちょっと興奮気味に話してくれたことが記憶に残っている。当時の取材メモを引っ張り出してみると、日本ではそれほど笑いが起きないのに、韓国では大爆笑に包まれるなど意外なリアクションが随所に見られたと語っている。「次の映画を作る上でも、自分の目線を鍛える上でも、プラスになるなと感じた」とも話していて、できるだけ海外の映画祭を回りたいと意欲を口にしていた。

 それから23年。「万引き家族」(2018年)ではカンヌ国際映画祭の最高賞に当たるパルムドールを獲得し、続く「真実」(2019年)はカトリーヌ・ドヌーヴを主演にフランスで撮影。そして韓国で撮った最新作「ベイビー・ブローカー」では主演のソン・ガンホにカンヌの男優賞をもたらすなど、今や世界でも屈指の映画作家と言うべき存在になった。6月13日には凱旋記者会見が東京・新橋で開かれたのでのぞきに行ったが、カンヌの授賞式後に韓国映画人でお祝いのパーティーを開いたときのことをうれしそうに話す様子は、ちっとも巨匠然としたところはない。映画青年の志を変わらず持ち続けているという印象で、だからこそ毎回、こんなにも新鮮で心ときめく作品を生み出しているんだな、との思いを強くした。

 さて、その「ベイビー・ブローカー」なんだけど、韓国を舞台にした全編韓国語のせりふの映画ながら、随所に是枝ワールドが顔をのぞかせる珠玉の作品に仕上がっていた。しのつく雨の夜、ある若い女が赤ん坊を「赤ちゃんポスト」の前に置いて立ち去っていく。その一部始終を見つめる目。そしてポストの向こうで待ち構える手。3つの立場が複雑に絡み合い、映画は多面的、重層的に展開していく。

 核になるのは、ソン・ガンホ演じるクリーニング店主のサンヒョンと、児童養護施設で働く相棒のドンス(カン・ドンウォン)の2人だ。彼らは「赤ちゃんポスト」に預けられた赤ん坊をこっそり連れ帰り、子どもがほしい夫婦に売りつけるブローカーを裏の稼業にしていた。そんな2人の前に、一度は赤ん坊を手放したものの、やはり自分で育てたいと思い直したソヨン(イ・ジウン)が現れる。サンヒョンから「大切に育ててくれる家族に渡した方がいい」と説得されたソヨンは、2人とともにウソンと名付けた赤ん坊の里親を探す旅に出かけるが……。

 この4人に、施設で育った悪ガキのヘジンが加わり、車で韓国各地を移動する疑似家族旅行がこの作品の肝だ。車の窓を開けっぱなしで洗車機に突っ込んだり、ホテルのベッドで横になりながら、ソヨンが一人一人に「生まれてきてありがとう」の言葉をかけたり、徐々に本物の家族以上の何とも言えない温もりが芽生えてくる。「誰も知らない」(2004年)、「そして父になる」(2013年)、「万引き家族」とさまざまな家族の姿を描いてきた是枝監督だが、今度の家族を見つめるまなざしはいつもよりも増して優しく、でもそれぞれの境遇を考えるとつらく切ない。

 この疑似家族に絶妙に絡んでくるのが、スジン(ぺ・ドゥナ)とその部下のイ(イ・ジュヨン)の刑事コンビだ。この2人をあえて女性にすることで母性というものを前面に押し出し、子どもを産むこと、子どもを育てること、子どもに愛情を注ぐことの意味を多角的に問いただす。親の愛を受けずに育ち、愛に不器用な者たちが醸し出す愛の行方は一体どこに向かうのか。登場人物それぞれの思いが、こっちで重なり合うかと思えば、あっちでは相容れずといった筋立てが巧みで、ぐいぐい引っ張っていく構成はさすが是枝監督と言うしかない。

 これに応えた韓国のスタッフ、キャストもまた大したもので、改めて韓国映画の底力を見せつけられた気がした。「バーニング 劇場版」(2018年、イ・チャンドン監督)や「パラサイト 半地下の家族」(2019年、ポン・ジュノ監督)などの名撮影監督、ホン・ギョンピョのカメラは、ワゴン車で韓国全土を走り回るロードムービーならではの多彩な情景を、空撮を交えて滋味豊かに切り取る。最初はぎこちない家族がだんだんとなじんでくるに従って、映像の色味も何となく温かく感じられるようになるから不思議だ。

 さらに何と言っても出演陣の表現力だ。カンヌで栄に浴したソン・ガンホの安定感はもちろん、「空気人形」(2009年)で是枝作品は経験済みのペ・ドゥナ以下、芸達者な若手俳優が躍動する。ヘジンを演じた男の子も素晴らしいが、何よりびっくりしたのがウソン役の赤ちゃんだ。生まれたばかりなのに表情も豊かだし、せりふに合わせて演技をしているかのようで、まさに奇跡的と言える。是枝監督も、凱旋会見で「ソン・ガンホさんが動けば目で追うし、目の前に誰かが来れば髪の毛に触ったりして、とてもよかった」と打ち明けていたが、やっぱりこの監督には映画の神様がついてるわ。

 今後のことについては「いずれチャンスがあれば、と話しているのに、報道では『いずれ』がなくなってしまう」とぼやきながらも、カンヌ授賞式後のパーティーで、ハビエル・バルデムやジェイク・ギレンホール、マッツ・ミケルセンらと遭遇して高揚したことを告白。「そういう人たちを頭の中で組み合わせて、こんな物語はどうなんだろうというのを、いずれチャンスがあればやってみたい」と話していた。是枝監督の場合、「いずれチャンスがあれば」がいつも早々と実現するもんだから、いやが上にも期待しちゃうよね。(藤井克郎)

 2022年6月24日(金)、TOHOシネマズ日比谷など全国で公開。

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是枝裕和監督の韓国映画「ベイビー・ブローカー」から。ソヨン(中央、イ・ジウン)はサンヒョン(右、ソン・ガンホ)、ドンス(左、カン・ドンウォン)とともに、赤ん坊の里親を探す旅に出るが…… © 2022 ZIP CINEMA & CJ ENM Co., Ltd., ALL RIGHTS RESERVED

是枝裕和監督の韓国映画「ベイビー・ブローカー」から。赤ん坊売買の実態を追うスジン(左、ペ・ドゥナ)とイ(イ・ジュヨン)の刑事コンビ © 2022 ZIP CINEMA & CJ ENM Co., Ltd., ALL RIGHTS RESERVED