第156夜「恋い焦れ歌え」熊坂出監督

 新型コロナウイルスの感染拡大が始まってからもう2年が過ぎた。いまだ道行く人はみんなマスク姿で、もういい加減うんざりするような毎日だが、映画の世界でもコロナ禍を背景にした作品が目立つようになってきた。

「パークアンドラブホテル」(2007年)の熊坂出監督が、オリジナルの原作で取り組んだ「恋い焦れ歌え」も、そんな鬱屈した社会情勢を反映した問題作だ。何しろのっけから、全員マスク姿の小学生が教室で授業を受けているシーンで始まる。俳句を教えている若い先生はどこか偉そうで、何となく鼻持ちならない印象だ。先生と子どもたちの対立の話なのかな、と思って見ていると、これがとんでもない方向に転がっていくから、やっぱり映画って面白いんだよね。

 くだんの先生は、小学校の臨時教員をしている桐谷仁(稲葉友)で、大手広告代理店に勤める妻(さとうほなみ)とは収入に格差があるが、正規教員の道も開かれ、人生は順調に進んでいくかに思われた。そんなある夜、仁はお面をかぶった暴漢にいきなり襲われ、性的暴行を受ける。妻や同僚にも話すことができず、悶々とした日々を送る仁の前に、KAI(遠藤健慎)と名乗る若者が現れ、自分が暴行犯だと告げる。そして戸惑う仁を廃品工場にあつらえたステージに連れていき、正直な気持ちをラップのリズムに乗せて吐き出すように扇動する。

 コロナ禍で図らずも露見した人心の荒廃という現代社会が抱える重いテーマを、性暴力という理不尽でおぞましい題材と、暗闇からの魂の解放を促すラップミュージックをかけ合わせることで、深く掘り下げようという試みは何とも挑戦的だ。それを何のてらいもなく、真正面から切り込んでいった熱情にはつくづく感服する。

 ストーリーもさることながら、テーマ性をあおるかのように、手持ちカメラによるぶれまくりの映像に、耳をつんざくような大音量の効果音と、攻めの表現が次から次へと繰り出されるのにもあっけに取られるばかりだ。まるで見る者を選別するかのような熊坂監督の挑発の数々に、あ、また仕掛けてきた、と大いに感心すると同時に、この激しさには置いてけぼりを食らう人も多いのではないかとちょっぴり心配もした。

 熊坂監督には、長編第2作の「リルウの冒険」(2012年)のときにインタビュー取材をしたことがあるが、沖縄を舞台に混血少女の友情と冒険を描いたファンタジーで、夢と現実のはざまを浮遊する感覚が妙に心地よかった。テレビドラマやドキュメンタリーも手がける熊坂監督だが、当時、「やっぱり映画をやりたい、映画で身を立てたいと思い始めたところです」と打ち明けていた。

「テレビは制約が多い分、自分が成長することはできても、現場で出てきたアイデアは生かせない。その点、映画は生もので、役者が出してきたものを採用できる余地がある。みんなのアイデアをくみ取って、どんどん巨大にできるんです」と映画の醍醐味を語っていたことが思い出される。

 今回の「恋い焦れ歌え」を見ても、まさに現場で生まれた空気感で突っ走っていったような勢いがあるし、特にラップなんて即興の極みのような表現形態だろう。コロナ禍の閉塞感にあえぐ日本社会を、そして性暴力の露呈に苦悶する日本映画界を覚醒させるには、こんな破天荒で常識外の作品が必要なのかもしれない。身も心も解放するエネルギーを、今こそ映画館の大スクリーンから全身で浴びるべし。(藤井克郎)

 2022年5月27日(金)から、渋谷シネクイントなど全国で順次公開。

© 2021「恋い焦れ歌え」製作委員会

熊坂出監督作品「恋い焦れ歌え」から。憔悴する仁(稲葉友)の前に、KAIと名乗る謎の青年が現れる © 2021「恋い焦れ歌え」製作委員会

熊坂出監督作品「恋い焦れ歌え」から。KAI(遠藤健慎)はラップで魂の解放を訴える © 2021「恋い焦れ歌え」製作委員会