文化の違いを乗り越える映画の力 「安魂」日向寺太郎監督

 原作は中国の小説で、全編中国で撮影し、出演者もほぼ中国人。そんな現場に果敢に飛び込んだ。文化も言葉も異なる中で意外な壁にぶち当たったりもしたが、完成した今になって思い返すと、つらかった日々も楽しい記憶になる、と日中合作映画「安魂」を手がけた日向寺太郎監督(56)は打ち明ける。「合作はこちらが望んでもなかなかできるものではない。とてもいい出会いがあったし、本当に経験してよかったなと思いますね」と満足そうに話す。(藤井克郎)

★日本に住む中国人の友人がきっかけ

「安魂」は、映画「香港女-湖に生きる」(1993年、謝飛監督)の原作者として知られる中国の作家、周大新(チョウ・ターシン)の実体験に基づいた小説を映画化した作品だ。

 著名な小説家の唐大道は、一人っ子政策で生まれた息子の英健を、ありったけの愛情を注いで育ててきた。立派な青年に成長した英健はある日、結婚を考えているという恋人の張爽を家に連れてくる。気立てのいい控えめな性格で申し分のない女性だったが、大道は彼女が農村出身という理由だけで別れるよう息子を諭す。反発を覚える英健だが、駅でひったくりを取り押さえようとして倒れ、そのまま29歳の若さで他界。大道の心には、息子が発した「父さんは自分の中の僕が好きなだけだ」との辛辣な言葉が残された。

 日向寺監督がこの原作を知ったのは、日本在住の中国人詩人、田原(ティエン・ユエン)を通じてだった。以前からの友人だった田からこの小説の映画化を持ちかけられ、そう簡単にいくかなと思いながらも、中国に関心があったこともあって「お願いします」と答えた。するとその1~2週間後、田から「お金が集まったよ」と電話が来て、とんとん拍子で映画化の話が進んでいったという。

「最初は半信半疑ですよね。それでデビュー作からお世話になっているパル企画の鈴木ワタル代表に相談したんです。鈴木さんが前からアジアとの合作に興味があることは知っていたし、田さんもせっかく監督が日本人なんだから合作がいいと言ってくれた。じゃあ動いてみようということになったのですが、この時点では、私も田さんも中国を舞台にするということは考えていませんでしたね」と、日向寺監督は映画化のいきさつについて述懐する。

★瓜二つの青年を通して魂の交流をする

 程なく中国側製作陣との顔合わせのために中国を訪れ、原作者の周とも対面。周は日向寺監督の「火垂るの墓」(2008年)の中国語版を見ていて、映画は自由に脚色してもらって構わないと言ってくれた。ただ一点だけ、自分が息子を亡くした経験を基にした小説なので、主人公の親子はぜひ中国人でお願いしたい、というのが周の要望だった。

「日本に住んでいる中国人親子の話も成立しないことはないが、だったら中国で撮りたいなと思いました。脚本は以前から組んでみたいと思っていた冨川元文さんにお願いして、撮影は中国で行う。そういう形で合意して、日本に戻るとさっそく脚本の準備に取りかかったんです」

 それが2016年のことだった。だが撮影に漕ぎつけるまでには、それから2年半もの年月を要することになる。

 脚本の冨川はテレビ畑の出身で、NHKの大河ドラマ「峠の群像」(1982年)などのほか、映画では今村昌平監督の「うなぎ」(1997年)や「赤い橋の下のぬるい水」(2001年)といった作品に携わっているベテランだ。原作では、ただ父親が死んだ息子の魂と対話するというだけだったのに対し、冨川は、父親の前に息子と瓜二つの青年が現れて、彼を通じて死んだ息子と魂の交流をするというアイデアを出してきた。「根本の部分は変えずに映画的に視覚化するというアイデアで、それは本当に面白いと思いました」と日向寺監督は振り返る。

「父親は実は息子のことを何も知らなかった。職業は作家なのに、人間を見てこなかったわけですよ。でも瓜二つの青年と出会うことで、人間と人間がつながることの意味とか、その人のことを知るということはどういうことかということに改めて気づく。ある種の世界観の変化ですよね」

★不思議な縁が導いた開封での撮影

 だが翻訳の手間もあったが、日中間の人間観の違いに齟齬が生じた。中国側が指摘してきたのは、脚本に描かれた家族は中国人ではなく、日本人に見えるということだった。中国人は自己主張が強く、家族内でもしょっちゅうぶつかり合うが、日本人は内心はともかく、表面上はおとなしくて従順に見える。この文化の違いはなかなか乗り越えるのが大変で、もう映画は実現できないのではないかと何度も思ったと日向寺監督は言う。

「主人公のような強権的な父親像というのは、現代日本ではリアリティーを持って見られにくいかもしれない。でも死者とどう向き合うか、かけがえのない身近な人の死からどう立ち直るか、という原作に描かれている要素は、国や宗教や文化が違っても、人間が持っている普遍的なものだと思うんです。違うところはあっても、根っこは世界共通のものだろうと信じていました」

 もう一つ難航した点に、映画のロケ地がある。日向寺監督は当初、北京で撮影したいと思っていた。実際に歩いていると胡同(フートン)など古い街並みが残っているところもあり、一方で巨大な現代都市でもある。古さと新しさが共存する街で魂との出会いの物語が展開するというのは面白いんじゃないかと考えた。

 ただ撮影許可の問題など、効率の面でいろいろと面倒なことになるだろうと中国側から意見が出て、それじゃあ古都・西安でとなったが、一大観光地のため、どこに行ってもたくさんの人だかり。今度は日向寺監督の方から、これは無理だと断念した。

 そんなときに映画のきっかけを与えてくれた詩人の田が提案してきたのが、河南省の開封(カイフォン)だった。やはり歴史のある古い都で、しかも西安のように観光客でごった返してはいない。実は田は河南省の生まれだが、原作者の周も、中国側プロデューサーの王欣も同じ河南省の出身だった。

 それどころか日向寺監督自身、若いころに開封を訪れたことがある。1993年、恩師の黒木和雄監督が手がけたNHKのドキュメンタリー番組「わが映画、わが故郷-黒木和雄・中国の旅-」で助監督についた日向寺監督は、初めて中国を訪問。そのとき、黒木監督が少年時代を過ごした旧満州だけでなく、開封にも足を延ばしていた。開封は、「人情紙風船」などで知られる戦前の名監督、山中貞雄が従軍中に戦病死した場所だった。

「黒木さんは山中貞雄の人生を映画にしたいと思っていて、亡くなった開封にはぜひ行ってみたかったようです。黒木さんが、京都みたいだね、と言っていたのが印象に残っているんですが、こぢんまりとしていて、でも古い都だからほかの街とは違う特徴がある。撮影もしやすいし、結果として非常にいい場所が見つかった。本当に不思議な縁に導かれているなと思いましたね」

★小規模作品には出ないような大物が出演

 こうして2019年の秋に撮影。主人公の大道を演じた巍子(ウェイ・ツー)と妻役の陳瑾(チェン・ジン)は、演劇、映画、テレビと幅広く活躍する中国ではトップクラスの名優で、中国のスタッフによると、この規模の映画に出るような役者ではないということだった。「監督はとてもついていますよ」と言われたが、出演を快諾してくれたのは、日向寺監督が日本人だったからだという。

「本人から言われたわけではないが、日本人監督の作品に興味があったんでしょうね。私はいかにも芝居しています、という演技は好きじゃない。演技が演技に見えないというのが、私にとってはいい役者で、それは事前にプロデューサーに伝えていたのですが、彼らの芝居を見ると、ものすごくレベルが高くてびっくりしました。息子役と恋人役の若い2人はオーディションで選んだのですが、層の厚さを実感しましたね」

 そんな中、ただ一人、日本人として元AKB48の北原里英が出演している。日本人留学生という役どころで、もちろん原作にはない人物だが、日本人が見て違和感のある部分を補うという役割で必要な存在だったという。「今の日本人が見ると父親が厳格すぎて家父長的な家族になっているので、彼女のせりふで日中の違いも表現できる。そういうことにこそ合作の意味合いがあるんじゃないかと思うんです」

★具体的に人の顔が見える家族の物語

 さまざまな困難を乗り越え、日中のスタッフが奮闘を重ねて完成した作品が、いよいよ日本で公開される。日中関係は、尖閣諸島をめぐる状況をはじめ、最近でも香港の民主化運動への弾圧やウイグルの人権問題などでぎくしゃくしているが、国と国、政府と政府では問題があっても、それを克服する力が映画にはあるのではないかと信じている。

「映画がいいのは、全部具体的なものが映っていることです。この家族はどんな家に住んでいて、どんな服を着ているのか、具体的に映さざるを得ない。だからフィクションではあるけれど、ある家族の人生の一部を見たと思えるわけです。より身近に中国を感じてもらえることになるような気がします」

 と同時に、この「安魂」が家族を見つめた小さな物語だったこともよかった。

「国と国の歴史的な事実を合作映画にするというのも、それはそれで意義があるが、家族という一番小さな共同体を描いているというのが、私としてはとてもよかったなという思いです。私自身、田さんという友人ができたことで、中国の見え方も変わってきた。具体的な人の顔が見えてくると、国と国が問題になったときにも押しとどめる力になる。映画にはそんな側面もあると思うんです」

 中国での公開はこれからになるが、中国側の製作陣が大満足しているという話は、田を通じて届いている。満足していなければはっきりと満足していないと言うようなタイプの人たちなので、恐らく社交辞令ではないだろうと笑顔を見せる。

「映画づくりは日本でも大変なのに、合作はさらに異文化という問題が入ってくる。でも優れた人と出会える喜びは大きいし、またやってみたいという思いはありますね」

◆日向寺太郎(ひゅうがじ・たろう)

1965年生まれ。宮城県仙台市出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、黒木和雄、松川八洲雄、羽仁進の各監督に師事する。NHKのドキュメンタリー番組などを手がけた後、2005年「誰がために」で劇映画を初監督。「火垂るの墓」(2008年)、「爆心 長崎の空」(2013年)、「こどもしょくどう」(2019年)のほか、「生きもの 金子兜太の世界」(2010年)、「魂のリアリズム 画家 野田弘志」(2014年)のドキュメンタリーを監督している。

◆「安魂」(2021年/中国、日本/108分)

監督:日向寺太郎 原作:周大新(「安魂」谷川毅訳、河出書房新社刊) 脚本・冨川元文 音楽:Castle in the Air(谷川公子+渡辺香津美)

製作:陳斗勇、馮学良、潘紅偉、鈴木ワタル、張朝喜、王欣 プロデューサー:王欣、馮学良、岩村修

総合企画:田原 芸術統括:明振江 撮影:押切隆世 照明:尾下栄治 録音:王宝石 美術:姫建剛 編集:川島章正 整音:小川武 音響効果:中村佳央 助監督:王昊陽 ヘアメイク:胡瑞 衣裳:宋林威 ラインプロデューサー:馬文亮

出演:巍子(ウェイ・ツー)、強宇(チアン・ユー)、欒蕾英(ルアン・レイイン)、北原里英、張立(ジャン・リー)、陳瑾(チェン・ジン)

製作:河南電影電視製作集團/秉徳行遠影視傳媒(北京)/パル企画/大原神馬影視文化発展/浙江聚麗影視傳媒/北京易中道影視傳媒 配給:パル企画

2022年1月15日(土)から岩波ホールなど、全国で順次公開

©2021「安魂」製作委員会

日中合作映画「安魂」を手がけた日向寺太郎監督。「とてもいい出会いがあった」と笑顔で話す=2021年12月10日、東京都台東区(藤井克郎撮影)

日向寺太郎監督作の日中合作映画「安魂」から。作家の唐大道(右、巍子)は、一人息子の英健を亡くして深い喪失感に襲われる ©2021「安魂」製作委員会

日向寺太郎監督作の日中合作映画「安魂」から。唐大道(右、巍子)は、開封の街で息子と瓜二つの青年(強宇)を見かける ©2021「安魂」製作委員会