第133夜「クナシリ」ウラジーミル・コズロフ監督
ロシアが実効支配する北方領土には、一度だけ行ったことがある。産経新聞札幌支局に赴任した直後の2010年9月、ビザなし交流訪問の同行取材のくじ引きに当たり、北方領土の中でも最大、最北の島、択捉島を訪れた。3泊4日の旅程だったが、根室から船で片道15時間ほどもかかる上、いちいち沖合に停泊している船に戻って寝泊りしていたこともあり、島に滞在していたのはほんのわずかな時間にとどまった。
それでも元島民の2世、3世やロシア語を学ぶ大学生ら訪問団一行が博物館や病院、水産加工場などを訪れて、ロシア人住民らと交流を重ねる様子をつぶさに取材することができた。島内最大の集落である紗那(ロシア名はクリリスク)には当時、約2400人のロシア人が住んでいるということだったが、驚いたことに街の中心部でも道路が舗装されておらず、乾いた砂利道を四輪駆動車が土煙を上げて飛ばしていた姿が印象に残っている。島のインフラは全く整っていないという印象で、日本国内はおろか、それまでに行ったことがあるどの外国とも異質な未開の風景が広がっていた。
その後もビザなし訪問取材のくじ引きには何度か当籤したものの、写真企画の紙面のために東京本社のカメラマンに譲るなど、2度目の機会はなかった。代表取材だったので各社に記事を送信しなくてはならないのも手間だったんだけど、今になって思えばほかの島々にも行っておけばよかったかなとちょっと悔やまれる。
「クナシリ」は、択捉島よりはぐっと手前に位置する国後島の現状を見つめたドキュメンタリー映画だが、荒れ果てた情景は11年前の択捉島の印象とほとんど変わりがない。それどころか、ビザなし交流のように取り繕った表面上の姿ではない住民の日常が映し出されていて、衝撃度はより強い気がした。
手がけたのは、旧ソ連のベラルーシで生まれ、現在はフランスを拠点に活動しているドキュメンタリー作家のウラジーミル・コズロフ監督だ。プレス資料によると、撮影したのは2019年の5月から6月上旬にかけてで、フランスを出国してから4回も飛行機を乗り継ぎ、オホーツク海を2日間航海してようやく国後島にたどり着いたという。
監督が見つめたのは、主に4人のロシア人で、いずれも戦後まもなく移住してきたと思われる高齢者だ。この人選が見事で、1人の太ったおじいさんは日本統治時代の遺構の発掘にいそしんでいて、あらゆる破壊行為を否定する。海パン姿で海や温泉に出かけるが、足元には戦争の爪痕と思われる瓦礫が転がっているし、戦車や砲台の残骸なんかも見受けられる。この島では戦後どころか、まだ戦争と地続きであることがうかがえる。
ほかにも1938年の生まれで、ロシア政府の政策を批判し、早く日本に開発してもらいたいと願っているおじいさんに、40年もトイレのない廃墟のような住宅に住み続けているおばあさんと、よく取材に応じてくれたもんだと感心する人々が登場する。極め付きは森の中で仙人のような生活をしているおじいさんで、自然と一体化していたアイヌの暮らしに憧れて、アイヌ犬を馬車馬代わりに飼いならしては森を自由にさまよう。と書けば聞こえはいいが、この森が廃棄物まみれで、都心のホームレスよりも健康に悪そうな暮らしぶりなのだ。
かように島内の環境は最悪で、いずれの住民も文句たらたらなんだけど、行政府の要人や軍の責任者は、ロシアの支配は当然で日本への返還なんてありえないと突っぱねる。それじゃあ住民の暮らしは今のままでいいのかと追及しないのがコズロフ監督流なのか、映画はただ淡々とそれぞれの意見を吸い上げるだけにとどまる。要は見た人がそれぞれに感じてほしいということなのだろう。
映画では、日本人島民が戦後、島を退去させられた歴史にも触れているし、現在の住民による戦勝を記念するお祭りの様子なども描かれる。着の身着のまま島を去った日本人が残していった写真もところどころ挿入されるが、そこに写っている家族の肖像からは文化的で豊かな暮らしが営まれていたことが見て取れる。何も論評を加えずとも、現在の見捨てられた生活との対比は明らかだ。
辺りに霧が深く立ち込めた早朝の光景や、雪を頂いた遠くの山々の雄大な眺めなど、手つかずの自然はあくまでも美しいのに、近くに目をやると海岸も森もゴミだらけ。これを放っておくとはどういうことなのだ、という問いを、コズロフ監督はロシア政府だけでなく日本人にも、いや全人類に突きつけているように感じた。(藤井克郎)
2021年12月4日(土)からシアター・イメージフォーラムなど全国で順次公開。
© Les Films du Temps Scellé – Les Docs du Nord 2019
フランスのドキュメンタリー映画「クナシリ」から。高齢の住民は政府への不満を口にする © Les Films du Temps Scellé – Les Docs du Nord 2019
フランスのドキュメンタリー映画「クナシリ」から。日本からロシア人への島の明け渡しを再現するお祭りも開かれていた © Les Films du Temps Scellé – Les Docs du Nord 2019