第102夜「ハイゼ家 百年」トーマス・ハイゼ監督
初めてベルリンを訪れたのは、1990年12月のことだった。日独の若手記者研修プログラムの一環として、フジテレビの記者(現在、TBSテレビの「サンデーモーニング」などでお見かけする中央大学教授の目加田説子さん)と2人で派遣されたのだが、何のことはない、両国の政官財界人が参加するシンポジウムを取材するという任務があるだけで、後は何のテーマも用意されていなかった。時代は東西ドイツが統一された直後で、ベルリンの壁の崩壊から1年しかたっていない。何かあるだろ、というデスクの無茶な注文もあって、大学時代の友人がかつて留学していたときにホームステイしていた牧師さんを紹介してもらい、旧東ドイツの庶民の暮らしがどう変化したかを無理やりルポルタージュ風にまとめたものだった。
このときに特に印象に残っているのが、かつてのベルリンの中心地で、つい1年前までは壁で行く手を阻まれていたポツダム広場の風景だ。共産主義国家らしい無味乾燥な建物が並び、やはりくすんだ色の服に身を包んだ旧東側の庶民がスーパーに列をなしている。宿泊ホテルのある旧西ベルリンのけばけばしたネオン街とは正反対の光景だったが、人々の表情はどこか明るく楽し気だった。これからいろんな試練が待ち構えているかもしれないが、とりあえず今は東西統一に期待していることがうかがえた。
その後、92年、93年とベルリンを再訪、再々訪する機会に恵まれたが、短期間で街の姿はみるみる変わっていった。2017年にはベルリン国際映画祭に合わせて久しぶりに足を踏み入れたが、ポツダム広場は超高層ビルが林立する近未来型の都心に変貌していた。あの希望に胸を膨らませてスーパーに並んでいた人たちはその後、どうなっただろう。
「ハイゼ家 百年」は、旧東ベルリンで生まれ育った映画作家のトーマス・ハイゼが、自らの祖父母の代からハイゼ家に残る手紙や日記を基に織り上げられた画期的な作品だ。全部で5章3時間38分をかけて壮大な家族の歴史がつづられるが、個人的な資料のはずなのに、ドイツという国の歴史、さらにはヨーロッパや世界の100年が凝縮されたような映画になっている。
手紙や日記は、ハイゼ監督自身が読み上げる。最初の朗読は1912年に14歳だった祖父、ヴィルヘルムが学校で書いた作文で、やがて教師になったヴィルヘルムは、ユダヤ人の彫刻家、エディトと恋に落ち、結婚する。ヴォルフガングとハンスの2人の息子にも恵まれ、幸せな日々を送っていたのもつかの間、ヒトラー率いるナチスの台頭で、ユダヤ人であるエディトの周囲に不穏な空気が漂い始める。ウィーンに住むエディトの父親と姉からは、いつ強制収容所に送られるかわからない恐怖と不安が記された手紙が相次ぐようになり、ついに2人はポーランドに移送。手紙が途絶えたところで第1章が終わる。
続く第2章は、戦後、ソ連の支配下に置かれた東側に住む若い女性のロージーへの手紙を中心に進行する。西側にいる恋人から、早くこっちに来いと訴える手紙が届くが、ロージーは踏ん切りがつかない。いったい彼女は何者なのか、というミステリアスな要素もはらんで、激動の時代はさらに進んでいく。このあたり、手紙と日記だけで構成されながらも、非常にふくよかなドラマが展開する。
その後も、ソ連のくびきの下で苦悩する大学教師の父ヴォルフガング、兵役に就いた兄のアンドレアスと若きトーマスの兄弟、東ドイツの文化人らとのひそやかな交流、そしてベルリンの壁の崩壊、と次から次へといろんな話題が示される。
その語りに合わせてスクリーンに何が映っているかというと、手紙や日記の文面では決してない。祖父母や両親の若かりし頃の写真はあるものの、あるときは市電の窓に打ちつける激しい雨粒、あるときは郊外の人っ子一人いない寂しい風景、またあるときは大きな鉄道駅に出入りする列車の姿と、朗読の内容と関係があるのかないのかよくわからないイメージ映像が延々と流れる。中にはナチスが強制収容所に送り込むユダヤ人のリストが映し出され、エディトの父親や姉の名前も出てくるという強烈な場面もあるのだが、ほとんどはハイゼ監督の内面を視覚化したものなのだろう。
ふと、デレク・ジャーマン監督の「BLUE ブルー」(1993年)を思い浮かべた。あちらは朗読の音声に青一色の画面を重ねた作品だったが、ハイゼ監督は改めて音声を主体にした映像芸術の可能性を提示してくれたような気がする。あの日、ポツダム広場で見かけた旧東ドイツの人々に思いをいたしながら、すすけたような色遣いの殺風景な画面を眺めていたら、いつの間にか3時間半が過ぎていた。と言っても、言葉が理解できない当方は、必死に日本語字幕を追いかけてもいたんだけどね。(藤井克郎)
2021年4月24日(土)から、シアター・イメージフォーラムなど全国で順次公開。
©ma.ja.de filmproduktions / Thomas Heise
ドイツ・オーストリア合作「ハイゼ家 百年」から。左からトーマス・ハイゼ監督の祖母エディト、叔父ハンス、祖父ヴィルヘルム、父ヴォルフガング ©ma.ja.de filmproduktions / Thomas Heise
ドイツ・オーストリア合作「ハイゼ家 百年」から ©ma.ja.de filmproduktions / Thomas Heise