第101夜「約束の宇宙(そら)」アリス・ウィンクール監督
北海道に赴任していたとき、赤平市でバッテリー式マグネットを製造する植松電機の植松努社長に取材したことがある。2011年のことで、当時は専務として父親が起業した従業員20人ほどの会社を支えるかたわら、植松さんの発案でロケット開発事業に参入。年間およそ20基の打ち上げを実施する一方、全国100か所もの学校に出張して子どもたち相手に講演を行っていたほか、多くの企業や学校が、北海道でも決して交通の便がいいとは言えない本社をひっきりなしに見学に訪れていた。
このとき、植松さんが語ってくれたのが、この世から「どうせ無理」という言葉をなくしたい、という思いだった。子どものころは誰も諦めるということを知らない。でもだんだんと現実をわきまえるにしたがって、「どうせ無理だから」と夢を手放してしまう。「だったら宇宙開発に挑戦したらどうだろう。国家プロジェクトとして手がけるものだと思っていたロケット製造を誰もができるとなったら、どうせ無理という言葉はなくなる。子どもたちの未来に期待したい」と熱を帯びて話していた植松さんは、現在も目標をしっかりと見据えて前進を続けている。
「約束の宇宙(そら)」を見たとき、この植松さんの言葉を思い出した。女性宇宙飛行士が主人公のフランス映画だが、何も宇宙だけに特化した物語ではない。むしろあらゆる女性の生き方、さらに男性も含めた今の時代の社会のあり方全般について問いかけていて、その象徴として宇宙飛行士を題材にしている。ここまでして最も困難な道のりであるはずの宇宙に挑む女性もいるんだから、さあ、あなたはどうするの。そんなメッセージがスクリーンから伝わってきた。
欧州宇宙機関で訓練を積んでいたフランス人のサラ(エヴァ・グリーン)は、宇宙飛行士になるという子どものころからの夢が手の届くところにきていた。国際宇宙ステーションに滞在するメンバーの候補に選ばれたのだ。だがサラには、別れた夫のトマス(ラース・アイディンガー)との間にもうけた一人娘のステラ(ゼリー・ブーラン・レメル)がいた。まだ幼いステラを置いて、1年間もの宇宙滞在ができるのか。迷いを抱えながらも、訓練施設のあるロシアのスターシティへと向かうサラだが、そこで待っていたのは女性にはあまりにも過酷な訓練の数々と、男性飛行士からの容赦ない視線だった。
映画は、サラとステラの母娘関係を軸にして、子育てと夢の実現とのはざまで揺れるサラの思いを主眼に据えている。と同時に、スターシティでの数々の訓練は、フィクションとは思えないほどリアルに描写される。重装備に身を包んで深いプールの底で作業をシミュレートする場面など、主演のエヴァ・グリーンは実際の宇宙飛行士と同じ訓練を積んでいるように見えるし、彼女の苦悩の表情は演技を超えたリアリティーがある。女性だからと言って大目には見てくれず、男性飛行士の嘲笑を受けながらも必死に訓練に食らいついていく姿は、本物の女性飛行士もきっとこうに違いないと思わせるほどだ。
そうまでして、しかもかわいい盛りの娘を置いて、なぜに彼女は宇宙に行くのか。その答えは、恐らくすべての働く女性の共通項なのかもしれない。家庭と夢の実現との間に横たわる葛藤は、宇宙飛行士にだけ課せられた宿命ではなく、どんな職業の人でも抱えているはずで、乗り越えるのは大変なことなのだということを、働く女性であるアリス・ウィンクール監督は訴えたかったのではないか。冒頭から手持ちカメラを駆使した映像を多用しているのも、不安と期待が入り混じった心の揺れを表現したかったからで、それが最後のクライマックスでも最大限に発揮される。このウィンクール監督、トルコを舞台に5人姉妹の苦闘を描いて話題を呼んだ「裸足の季節」(2015年、デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督)の共同脚本家としての知識しかなかったが、映像感覚も見事なものだ。
もう一つ、監督がこの作品に込めた思いに国や民族を超越した国際協調の精神が挙げられる。サラの夫のトマスはドイツ人で、娘のステラはフランス語もドイツ語も難なくこなすが、母親に反発するときはわざとドイツ語で口ごたえする。さらにスターシティには全世界から宇宙飛行士が集まっていて、サラはアメリカ人とロシア人の男性飛行士とチームを組むことになる。当初はぶつかっていたものの、最終的に3人は信頼関係で結ばれるのだが、確かに宇宙は国も民族も関係なく、お互いに協力しなければ命の危険にもつながりかねない。それは身近な家庭の中でも同じだろう、という問題提起が見え隠れする。
その精神を体現するかのように、国際色豊かな俳優陣に加え、音楽は日本の坂本龍一が担当している。ここにも国際協調へのウィンクール監督の信念がちらっと垣間見えて、何だかうれしくなった。(藤井克郎)
2021年4月16日(金)からTOHOシネマズシャンテなど全国で公開。
ⒸCarole BETHUEL ⒸDHARAMSALA & DARIUS FILMS
フランス映画「約束の宇宙(そら)」から。宇宙飛行士になるという子どものころからの夢が目前に迫っていたサラ(エヴァ・グリーン)だが…… ⒸCarole BETHUEL ⒸDHARAMSALA & DARIUS FILMS
フランス映画「約束の宇宙(そら)」から。サラ(右、エヴァ・グリーン)にとって、一人娘のステラ(ゼリー・ブーラン・レメル)は一番の心配の種だった ⒸCarole BETHUEL ⒸDHARAMSALA & DARIUS FILMS