第63夜「リトル・ジョー」ジェシカ・ハウスナー監督
SNSやウェブニュースを閲読していると、新型コロナウイルスの感染拡大をゾンビ映画になぞらえて論評する記述が時折、目に入る。確かに最近のゾンビ映画はウイルスに起因する設定の作品が多いし、ゾンビに対抗する自警団の増長は、コロナ禍の自粛期間中に営業店舗を告発したりした「自粛警察」の横行と似ていなくもない。
不謹慎のそしりを承知で打ち明けると、新型コロナウイルスが蔓延し始めた当初、真っ先に思い浮かべたのは「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(1956年、ドン・シーゲル監督)だった。隣人がある日を境に人が変わったようになるというSF映画で、実は宇宙からやってきた未知の生命体に肉体が乗っ取られていたことがわかる。ジャック・フィニイが1955年に発表した小説「盗まれた街」の映画化で、シーゲル作品の後も何度かリメイクされており、当方は1978年にフィリップ・カウフマン監督が手がけた「SF/ボディ・スナッチャー」の方を先に見ている。知らないうちに全くの別人格に入れ替わっているという恐怖もさることながら、工場で繭のような人間を大量生産している映像のおぞましさは今も脳裏に焼き付いて離れない。
中欧オーストリア出身のジェシカ・ハウスナー監督が初めて英語で撮った「リトル・ジョー」も、コロナ感染が広まっていく言い知れぬ恐怖感を連想させ、まさに今こそ見るべき作品という気がした。
最愛の息子、ジョーと2人で暮らすバイオ企業の研究員、アリス(エミリー・ビーチャム)は、ある新種の植物の開発に成功する。毒々しい真っ赤な花を咲かせるこの植物は、愛情をたっぷり注いでやると持ち主に幸福をもたらすという。アリスはこの花を「リトル・ジョー」と名付け、一株をこっそり自宅に持ち帰って息子のジョーに世話を任せるが、ジョーは徐々におかしな行動を取るようになっていった。
よく知っている人がいつの間にか別人のように感じるという不安は「ボディ・スナッチャー」に似ているが、決定的な違いは、地球を侵略すべく洗脳されたのではなく、むしろ地球に優しくすることで幸福感を得るようになるという点だ。それがこの物語に複雑でふくよかな味わいをもたらしている。
例えばアリスの同僚のベラ(ケリー・フォックス)は、愛犬のベロがリトル・ジョーの花粉に触れたことで以前とはまるで違ってしまったと嘆き、ベロを殺処分にする。ベロとしては、本当は幸せを感じていたのかもしれないのに、飼い主の勝手で命まで奪われる。人間にとっての幸せは、果たして植物や動物にとっても幸せなのか。
ハウスナー監督は、そんな地球規模の深遠なテーマを、決して派手で大がかりにはせずに、だが何とも不気味な空気感を漂わせて神秘的に織り上げる。その雰囲気に一役買っているのが音楽で、伝説の実験映画作家、マヤ・デレンの「午後の網目」(1943年)などに曲をつけた日本人作曲家、伊藤貞司の和楽器の調べが、作品世界を幽玄に彩る。昨年のカンヌ国際映画祭で女優賞に輝いた主演のビーチャムのたたずまいも素晴らしく、近しい人がかすかに変化していくのを見守るしかないアリスの戸惑いを見事に体現していた。
それにしてもリトル・ジョーの花粉拡散は、新型コロナウイルスの感染にダブって映って仕方なかった。ハウスナー監督がこの映画化を思いついたときは、まさか地球規模でウイルスの大流行が起こるなんて思ってもいなかっただろうが、コロナ禍だけなく、このところの異常気象や地震、噴火といった自然災害も、何らかの地球の意思が働いている気がしてならない。そんなことも考えさせるほど、まさに時宜にかなったSF娯楽作品と言えるだろう。(藤井克郎)
2020年7月17日からアップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺など全国順次公開。
© COOP99 FILMPRODUKTION GMBH / LITTLE JOE PRODUCTIONS LTD / ESSENTIAL FILMPRODUKTION GMBH / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019
オーストリア・イギリス・ドイツ合作映画「リトル・ジョー」から。アリス(エミリー・ビーチャム)は、愛情をもって育てると幸せをもたらす植物、リトル・ジョーを開発する © COOP99 FILMPRODUKTION GMBH / LITTLE JOE PRODUCTIONS LTD / ESSENTIAL FILMPRODUKTION GMBH / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019
オーストリア・イギリス・ドイツ合作映画「リトル・ジョー」から。花粉を吸いこまないよう、アリス(エミリー・ビーチャム)はマスクをつけて新種の植物を開発したが…… © COOP99 FILMPRODUKTION GMBH / LITTLE JOE PRODUCTIONS LTD / ESSENTIAL FILMPRODUKTION GMBH / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019