「あなたの顔」(ツァイ・ミンリャン監督)

 マレーシア生まれの台湾人監督、ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)のことは、初期のころから風変わりな映画を撮る人だなと思っていた。「Hole」(1998年)なんて、エレベーター前でいきなり女の子が口パクで歌い踊る場面が鮮烈に記憶に残っているんだけど、あれは何だったんだろ。

 強く意識しだしたのは2014年6月、「郊遊〈ピクニック〉」(2013年)で来日したときにインタビュー取材をしてからだ。この作品でベネチア国際映画祭の審査員大賞を受賞した際、引退を表明して話題を呼んだが、本人は「引退するなんて言ってないんだけどね」と穏やかに話してくれたことを覚えている。ただ商業映画はもう撮る気がなく、美術館などで何か月も上映してくれた方がうれしいとも言っていた。

 実際、ツァイ監督のその後の作品は、まさに前衛美術とでも呼べる斬新さで、「あの日の午後」(2015年)はツァイ作品の常連俳優、リー・カンション(李康生)とツァイ監督が、廃墟のような建物で延々と会話を交わしている様子をとらえただけだった。この作品が上映された2015年の東京フィルメックスでは、ほかに近作の短編集を見たが、リーが渋谷の歩道橋を超ゆっくりと歩き、裸の安藤政信がただ寝ているだけの「無無眠」(2015年)は強烈だったなあ。

 で、今度の「あなたの顔」である。これは事前にどんな映画かを書くのは愚の骨頂。とにかく見るべし、としか言えないが、ツァイ作品のファンなら、タイトルから想像する通りの映画だと思って間違いない。映っているのは、とりもなおさず「あなたの顔」で、その「あなた」には、この拙文を読んでいる「あなた」も含まれる。こういう作品、誰もが思いつくかもしれないが、誰もがこんな芸術の域にまで昇華することはできない。そうして最後に思うのだ。ああ、してやられた。

 確かにこれは、映画館という商業施設で見るよりも、美術館で自由に出入りしながら見た方がいいのかもしれない。あるいはずっと居眠りしていたって、立派に鑑賞したことになりそうだ。

 撮影場所は台北の中山堂という日本統治時代の歴史的建造物で、実は当方、ここを訪れたことがある。ちょうどツァイ監督の来日取材1週間前に旅行で訪ねていて、ツァイ監督プロデュースのカフェで優雅にコーヒーをたしなんだ。インタビューのとき、「中山堂に行ってきましたよ」と伝えたらうれしそうだったが、現在は閉店してしまったらしい。この映画のラストシーンでは、そんな「あなた」の記憶やら情感やら内観やらがかみしめられて、実に贅沢な体験をさせてもらった。(藤井克郎)

 2020年6月27日からシアター・イメージフォーラムなど順次公開。

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台湾映画「あなたの顔」から © 2018 HOMEGREEN FILMS TAIWAN PUBLIC TELEVISION SERVICE FOUNDATION ALL RIGHTS RESERVED

台湾映画「あなたの顔」から。ツァイ・ミンリャン作品の常連、リー・カンションの顔も…… © 2018 HOMEGREEN FILMS TAIWAN PUBLIC TELEVISION SERVICE FOUNDATION ALL RIGHTS RESERVED

台北の中山堂には、かつてツァイ・ミンリャン監督プロデュースのカフェがあった=2014年6月13日(藤井克郎撮影)

台北の中山堂にかつてあったツァイ・ミンリャン監督プロデュースのカフェ。ベネチア国際映画祭の受賞トロフィーも飾ってあった=2014年6月13日(藤井克郎撮影)