ありのままの自分を受け入れる
ラップと教育と自己受容。何か三題噺のお題のようだが、この3つの要素を絶妙に絡み合わせて初の劇場用映画を作り上げた。アルゼンチンやインドネシアなど、世界各地の映画祭で評判を呼んでいる「雪子a.k.a.」を手がけた草場尚也監督(33)は、30歳という節目を迎える若者の等身大の姿を具現化したかったと打ち明ける。「不安を抱える主人公がどうしたら不安を払拭できるかというよりも、不安のままでもいいんだよ、というありのままの自分を肯定するところに着地させたかった」と語る思いとは――。(藤井克郎)
☆30歳を控えた教師が抱く漠然とした不安
「雪子a.k.a.」の主人公は、東京に一人で暮らす29歳の小学校教師、吉村雪子先生。担任を務める4年生のクラスには、給食が食べられない子、生理に悩んでいる子、母親とうまくコミュニケーションが取れない子などいろんな児童がいて、その対応に日々もがいている。仕事にも私生活にも自信が持てないまま、30歳を控えて漠然とした不安を感じている雪子先生にとって、夜の公園で同好の仲間たちとラップを刻んでいる瞬間が、自分を解放できる唯一の場だった。実家のある長崎に帰省したとき、思い切ってMCバトルの大会に参加するが、ここでこてんぱんに打ちのめされてしまう。
雪子先生を出演当時は同じ30歳だった山下リオが演じているほか、同僚の教師役で樋口日奈、占部房子ら、恋人役で渡辺大知、父親役で石橋凌が共演。ラップ監修をダースレイダーが務めるほか、主題歌を餓鬼レンジャーのMC、ポチョムキン、ラッパーの泰斗a.k.a.裂固、シンガーソングライターの瑛人の3人が担っている。ちなみにタイトルにもある「a.k.a.」とは「also known as~(またの名を~)」の略で、ラップでよく使われる言葉だ。
「ヒロインが跳ねる映画というのが好きで、女性ラッパーは自分が描きたい映画を描ける素材だなと感じていました」と話す草場監督は、当初はプロのラッパーをイメージしていた。エミネムが主役を張った「8 Mile」(2002年、カーティス・ハンソン監督)の女性版を想定していたが、ラップの世界に通じているわけでもなく、なかなか心情をうまく具体化できない。これは無理かもしれないというときに思いついたのが、教師を主人公にすることだった。
☆自分の映し鏡のように主人公を描きたい
大学は教育学部に進学し、教員免許も取得していた草場監督は、大学3年までは学校の先生になろうと思っていた。教師が趣味でラップをやっているという話ならいけるのではないか。アマチュアでMCバトルのステージに立つのはとても勇気がいることだし、周りから「えっ、出るの?」と言われるような主人公がいかにして決心していくか、といったシナリオが自分の中で膨らんでいった。
「MCバトルって盛り上がるし、映画的に爆発し得るシーンになりやすい。ただそこがピークになってしまうとちょっと安直というか、今回の映画としてはうまくいかないだろうというのは脚本の段階から思っていました。その先をどこで盛り上げるか、というところで試行錯誤を繰り返しましたね」と振り返る。
そこで重要な役割を果たすのが、雪子先生のクラスの不登校の子どもだ。類という少年は学校になじめず引きこもっているが、ピアノが得意で、雪子先生は音楽を入り口に粘り強くコミュニケーションを図ろうとする。そんな雪子先生に、類くんのお父さんがかける言葉が印象的だ。「先生には嘘がない」と。
「映画の企画当初から、テーマは自己受容とか等身大で生きる人の美しさ、みたいなものをイメージしていました。僕自身、等身大で生きられていない瞬間が日常生活で数多くあるなと感じていて、映画はそこからスタートしているんですね。自分の映し鏡みたいに主人公を描きたいという思いがあって、自分自身を見つめるように雪子先生を見つめていきました。ただ自分では気づけないこともあって、脚本の鈴木史子さんという別の視点を取り入れることで、他者からどう見られているかを加えることができた。『嘘がない』というせりふも、恐らく鈴木さんが気づいて具現化してくれたのかなという気がします」
「雪子a.k.a.」の草場尚也監督=2025年1月7日、東京都台東区(藤井克郎撮影)
☆雪子役の山下リオに感じた共鳴するもの
雪子役のキャスティングにも、監督の強い執着が込められている。前提として、30歳になる不安を感じたことのある人にやってほしいという縛りを課し、だから26歳あたりの俳優ではだめだった。山下リオは年齢的にぴったりだった上に、30歳の節目で高校生のころから所属していた事務所を辞めて独立していた。
「ここからまだまだ人生がどうなっていくかわからないタイミングで独立されたというニュースを見たとき、内に秘めたものに共鳴できるんじゃないかと感じました。勝手ながら、この映画を作ることで僕自身に影響を与えるような作品にしたかったが、主役を演じてくれる方も映画を通じて何か達成できる人がいいなと思っていた。初めてお会いしたとき、山下さんが不安を感じている感覚には共通する部分がありましたね」
山下は、ラップに関しては撮影の9カ月も前から準備を始め、ラップスクールで練習したり、プロのステージを見にいったりして、長いスパンで身につけていった。監修のダースレイダーも撮影に入る前から「もう十分だな」と太鼓判を押していたほどで、草場監督の中では何の不安もなかったという。「山下さんもストイックな方で、やれることはとことんやりたいという感じでした」と理想的な出会いに感謝の言葉をつなぐ。
☆やめろと言われてやめるならそんなものでしかない
子どものころから映画を見るのは好きだったが、映画づくりの道を意識したのは大分大学の教育学部に進学してからのことだ。部員3人の映画サークルを創設する一方、大分市内のミニシアター、シネマ5に通ってさまざまな映画に触れる中、劇的な経験をする。
大学3年のときだった。「桐島、部活やめるってよ」(2012年、吉田大八監督)の舞台挨拶で大分を訪れた吉田監督と地元の学生が座談会を行う機会が設けられ、参加した草場監督も一つ質問を投げかけた。東出昌大演じる野球部員の登場人物がプロ野球選手になりたいと言ってきたら何と答えるか、との問いに、「絶対にやめろと言う」と意外な回答を返してきた吉田監督は、続けて「人にやめろと言われてやめるくらいなら、そんなものでしかない」と置きぜりふを残す。その言葉を聞いて、自分は何としても映画をやりたいという決心が固まった。
「不安はたくさんあったし、親には絶対に反対されるだろう。だけど反対されてもやろうという気概がないと続かない、ということを、そのときに理解しました」
大学を卒業すると上京し、映画美学校の脚本コースに入校。「ある朝スウプは」(2003年)の高橋泉監督について脚本のいろはを学ぶ。その後、映像制作会社で映画の助監督やバラエティー番組のスタッフを務めながら、休職して撮影した初の長編「スーパーミキンコリニスタ」(2019年)が、ぴあフィルムフェスティバルでジェムストーン賞とエンタテインメント賞をダブル受賞するなど評判を呼ぶ。
「よし、来た、と思ったんですが、その後、オファーは一つも来なかった。そういうことも経て、30歳になったとき、今後の自分の人生を決定づける年齢になったと思って、この業界で生きていくと結論づけました」
「雪子a.k.a.」の草場尚也監督=2025年1月7日、東京都台東区(藤井克郎撮影)
☆取り残されずに誰かの手に渡っていく映画を
その前年には独立し、フリーランスとしてテレビドラマなどに携わるかたわら、じっくりと時間をかけてでもやりたいと思っている映画に取り組んだ結果が、「雪子a.k.a.」だった。完成した作品は、アルゼンチンのブエノスアイレス州国際映画祭やイギリスのウェールズ国際子ども映画祭などに出品。インドネシアのジョグジャNETPACアジアン映画祭に参加したときは、多くの観客から「雪子は私だ」との熱い声をかけられた。
「女性だけでなく、男性にもそう言ってくれる人がいて、すごくうれしかった。言葉の違いがあっても自分事のように感じてくれる人がいることを知ったし、世界の人とともに生きるという思いが強くなりましたね。普遍的なものを描けば世界のどこともつながるというのが映画の意義のような気がして、今後はそういうことを意識してやっていきたいなと思っています」
ゆくゆくは長崎出身という出自もあって、原爆をはじめとした戦争をテーマにした作品をやってみたいという目標がある。と同時に、次は今回のような映し鏡ではなく、自分自身からちょっと距離を置いてやってみようかなとも思っているという。
「映画の最初の方で、誰一人取り残さない、というせりふがありますが、そういう精神は大切にしたいですね。最近、若い子は短い動画ばかり見ているし、シネコンでかかるような大きい映画もあれば、僕らのような作品もたくさんある。こういう映画も取り残されずに誰かの手に渡っていけばいいなというのが願いです。上映時間の間だけでも主人公に同期して、他者の痛みとか苦しみとか喜びとかを追体験することができたら、もっと人に優しくなれるんじゃないかなと思うんです」と柔和なまなざしを向けた。
草場尚也(くさば・なおや)
1991年生まれ。長崎県出身。大分大学卒業後、映画美学校の脚本コースで高橋泉監督に師事する。映画制作会社に入社後、テレビのバラエティー番組のADや連続ドラマ、映画の助監督などで活動。会社を休職して撮影した「スーパーミキンコリニスタ」(2019年)がPFFアワード2019でジェムストーン賞(日活賞)、エンタテインメント賞(ホリプロ賞)のダブル受賞に輝いた。
「雪子a.k.a.」(2024年/日本/98分)
出演:山下リオ、樋口日奈、占部房子、渡辺大知、石田たくみ(カミナリ)、剛力彩芽、浅田芭路、猪股怜生、滋賀練斗、池尻稀春、中村映里子、池田良、ダースレイダー、立仙愛理、椿、カツヲ、りゅうと、赤間麻里子、PONEY、石橋凌
監督・編集:草場尚也 製作:鈴木ワタル、桑原佳子 プロデューサー:岩村修、関和
原作:鈴木史子、草場尚也 脚本:鈴木史子 撮影:寺本慎太朗 照明:渡邊大和 録音:太田卓 美術:松本千広 音楽:GuruConnect 衣裳:古賀麻衣子 ヘアメイク:飯島恵美 助監督:濱本昌宏 制作担当:時光陸 カラリスト:長橋隆一郎 音響効果:野原啓太 ラップ監修:ダースレイダー 編集協力:光岡紋
主題歌:「Be Myself」(Prod. GuruConnect)ポチョムキン(餓鬼レンジャー)、泰斗a.k.a.裂固 & 瑛人
製作:パル企画、VAP 配給:パル企画
2025年1月25日(土)から東京・ユーロスペースなど全国で順次公開
草場尚也監督「雪子a.k.a.」から。雪子(山下リオ)は不安な気持ちを抱えながら教壇に立っていた ©2024 「雪子a.k.a.」製作委員会
草場尚也監督「雪子a.k.a.」から。雪子(山下リオ)はラップを刻むことで自己を解放していた ©2024 「雪子a.k.a.」製作委員会