生きづらい今の時代の若者に生きる力を届けたい

 若い人が自ら命を絶つ悲劇を食い止めるために、果たして映画に何ができるのか。考えに考え抜いた山本透監督(53)が出した一つの形が、新作映画「有り、触れた、未来」だった。初めて手がけた自主映画は資金集めから宣伝活動まで手探りの連続だったが、若手俳優によるプロデューサーチームをはじめ大勢の支援のおかげで劇場公開に漕ぎつけた。「この年齢になって、こんなにたくさんの人々との出会い、触れ合いってあるんだなと、とても豊かな気持ちになりました」と山本監督は謙虚に語る。(藤井克郎)

★薄暗い夜明け前からきっと明るい明日へ

「有り、触れた、未来」は、極めて意欲的な群像劇だ。誰か一人が主人公ということはなく、たくさんの登場人物の一人一人が別の誰かとどこかでつながっている。

 例えば10年前にバンド仲間の恋人を事故で失った愛実(桜庭ななみ)は、悲しみを乗り越えて今は中学教師の悠二(宮澤佑)との結婚を控えていた。両親は離婚しており、母(仙道敦子)はがんに冒されながらも娘には気丈に振る舞い、居酒屋を営む父(杉本哲太)は、親友の劇団員、蒼衣(舞木ひと美)とともにちょくちょく店に顔を出す愛実を温かく見守っている。

 一方、悠二が担任を務めるクラスの結莉(碧山さえ)は、10年前の東日本大震災で母と兄を亡くし、しっかり者の祖母(手塚理美)と飲んだくれの父(北村有起哉)と3人で息の詰まるような毎日を送っていた。家族を失った悲しみから立ち直れない父は工場勤務の仕事にも身が入らないが、ボクシングをしている同僚の光一(松浦慎一郎)から試合に誘われ、そのがむしゃらな姿に勇気をもらう。もう若くはないものの「前進あるのみ」とボクシングに精を出す光一は悠二の兄で、試合会場には悠二と愛実の姿もあった。

 と実に複雑な絡み具合だが、愛実たちのバンド、結莉が取り組む和太鼓、光一のボクシング、それに蒼衣たちの演劇と、登場人物がそれぞれの形で魂の震えを表現。これらが混ざり合うようにして、未来への希望、生きることの賛歌を力強くうたい上げていく。

「まだ夜明け前の薄暗い状態かもしれないけれど、しっかりと風を吹かせて、みんなで言葉を掛け合っていけば、きっと明るい日差しに包まれる。今ってそういう時代なんじゃないかと思うんです。だからすべての物語が、夜が明けるように徐々に発色がよくなっていって、最後は脳裏に焼きつくくらい鮮やかになるよう作っています」と山本監督は作品の背景について語る。

★相次ぐ若者の自殺に「何が起きているんだ」

 きっかけは、コロナ禍で準備していた映画が延期になり、自宅にこもりきりの日々が続いたことだった。最初の緊急事態宣言が出た直後の2020年4月10日、20代のころに助監督としてお世話になった大林宣彦監督がこの世を去り、晩年に投げかけられた師の言葉がまざまざとよみがえった。

「『山ちゃん、3カ月で死ぬと言われたらどんな映画を撮る』と聞かれたんです。大林監督はがんで余命3カ月と言われていたのに3年半生きながらえ、2本の映画を撮った。闘病中にお会いした大林さんからかけられた言葉を思い出して、今は時間もあるし、家にいるんだったら、と脚本を1本、書き上げました」

 最初は児童虐待がテーマだったが、ちょうどそのころ、俳優の三浦春馬さんの訃報が飛び込んできた。三浦さんとは、山本監督が助監督でついた「永遠の0」(2013年、山崎貴監督)以来の付き合いで、山本監督が脚本と監督補を務めた「ブレイブ-群青戦記-」(2021年、本広克行監督)では、三浦さんが演じた松平元康の「若者の命は一つ、決して無駄にするな」というせりふの言い方などについて相談を受けたりしたという。

「そういった話し合いの上で脚本を書いていったのですが、作品が完成する前に逝ってしまった。その年の11月にはワークショップで教えていた子が自ら死を選んだという連絡もあって、これは何が起きているんだと思いました。幼児虐待はいったん置いておいて、もっと全方位的に命と向き合うような、生きる力を届けるような映画ができないものだろうかと考えて、自殺のことを勉強したんです」

★未来を見据えた「青い鯉のぼりプロジェクト」

 だが答えはなかなか見つからない。死にたいと思っている人に「生きろ、死んじゃだめだ」というのは、風邪をひいている人に「熱を出すな、咳をするな」と言っているのと変わりはない、と聞いて、この問題の根深さを知る。どうしたら映画にできるのかと悩みに悩んでいたときに、ある一冊の本を思い出した。宮城県東松島市の石巻西高校教頭として東日本大震災を経験し、現在も防災士として講演活動を続ける齋藤幸男さんが著した「生かされて生きる-震災を語り継ぐ-」(河北選書)という本だった。齋藤さんは、今回の映画に蒼衣役として出演している俳優の舞木ひと美の父親で、山本監督はワークショップなどを通じて親交のあった舞木から以前、「父が書いた本ですけど、読んでください」とこの本を手渡されていた。

「まだ読んでいなかったのですが、どうしたら生きる力を映画にできるかと考えていたときにこの本のタイトルが目に入って、『生かされて生きる』って何だろうと思って読み始めました。高校に地域の人がたくさん押し寄せて、自然と避難所になったという話で、体育館が遺体安置所になる中で、先生たちがどう子どもたちを守っていったかといったことが書かれているのですが、衝撃的だったのは、その後の子どもたちがどうやって生きているかという描写でした。その一つに青い鯉のぼりプロジェクトがありました」

 青い鯉のぼりプロジェクトとは、震災で家族を失った石巻西高校の2年生、伊藤健人さんが、5歳で命を落とした弟が大好きだった鯉のぼりを瓦礫の中から見つけて自宅の屋根に掲げたのが発端で、「亡くなった子どもたちが寂しくないように」と、地域の人々総出で青い鯉のぼりを掲揚するようになったものだ。今では2000匹を超える鯉のぼりが全国から寄せられ、大震災が起きた3月11日から5月5日のこどもの日まで、鎮魂の意味を込めて東松島市の空を彩る。

 この話に興味を持った山本監督は2021年の3月11日、舞木を通じて齋藤さんが住む宮城県を訪ね、プロジェクトを始めた伊藤さんにも話を聞いた。決して心の傷が癒えることはないが、傷とともにそれでも生きていくと話していた伊藤さんは「未来を生きる子どもたちのためにも、100年先まで残すプロジェクトにしたい」と力を込めた。

「あ、すごい。ちゃんと未来に向かっているんだ、と。こういうことを映画の中に込めれば、生きる力を届けることができるんじゃないかと思いましたね」

★誰かが一緒に歩いてくれたら違う景色も見えてくる

 東京に戻ると、およそ1カ月で脚本を書き上げた。大勢の群像劇にしたのは、一つの家族の物語だけではとても伝えきれないと感じたからだ。亡くなった人を偲ぶ、一秒でも長く生きたいと願うなど、さまざまな思いがなければ全方位的にみんなを救うことはできない。5つくらいの軸がタペストリーのように図柄を描き、最終的には一つのエネルギーになってスクリーンから客席に吹きつける。そんなイメージだった。

「すべてを未来に向かって進んでいく物語にするというのは、初めから決めていたことです。ただボクサーの光一のせりふに『前進あるのみ』とありますが、前進だけだと苦しくなってしまう人もいるかもしれない。そんなとき、立ち止まったっていいんだよと言ってくれる人が誰かいれば救いになる。手を取ってくれる人がちゃんといて、一緒に歩き始めたら違う景色も見えてくるのではないか。そんなことも伝えたくて、たくさんのキャラクターが出てくる必要がありました」

 こうして2021年の秋に1カ月弱を費やして宮城県内で撮影。登場人物が複雑に絡み合うことからスケジュール調整も大変で、出演者によっては何度も出入りしなければならないケースもあった。祖母役の手塚理美などは長くロケ地に滞在し、撮影の合間に震災遺構などを地元の語り部の人たちと回り、役づくりにも役立てていたという。

★プロデューサーとして若い役者たちも映画づくりを勉強

 これまで商業映画にしか携わってこなかった山本監督にとっても、初めての自主映画は苦労の連続だった。中でも資金集めは困難を極めたと認めるが、そんな監督に力強い存在となったのが、UNCHAIN10+1(アンチェインイレブン)というプロデューサーチームだ。22人の若手俳優からなる集団で、山本監督を「生かされて生きる」の著者、齋藤さんに引き合わせた娘の舞木もその一人に名を連ねる。

「もともと2021年の3月11日に齋藤先生を訪ねて宮城に行くとき、すでに舞木をはじめ4人が駆けつけてくれた。その後、商業映画としては成立が難しいと判断され、果たしてこの映画をやれるのか、自分自身で迷っているとき、舞木たちがワークショップの生徒たちに声をかけてくれて、まず11人が集まったんです。それでイレブンと言っていますが、最終的には22人の俳優たちが、協賛金集めからロケ場所探し、オーディションなど全部やってくれました」と山本監督は感謝の言葉を口にする。

 この日の取材には舞木も同席したが、「私が父を紹介したということもあるし、つないだ人間の役目として、プロデューサーになるのか、演者としてかはわからなかったが、監督と一緒に歩んでいくんだという覚悟はありました」と打ち明ける。

 UNCHAIN10+1のメンバーは、舞木以外にも全員がこの映画に出演しているほか、いろんな裏方の仕事を通じて映画づくりを実地に学ぶこともできた。「山本監督って人を育てるのが本当に上手だなとみんな思ったはずです。企画の立ち上げからクランクインを迎え、最後に完成するまでのすべての流れを勉強し、俳優だけをやっていたらわからないような部分にも立ち会うことができた。映画ってこうやっていろんな人の力が合わさって完成していくんだということを知って、みんなで成長することができました」と満足そうに語る。

★いつまでも流れるエンドクレジットに人のつながりを実感

 そんな舞木ら若い俳優たちのひたむきな姿に、山本監督も大いに刺激を受けたという。

「普通、俳優は自分の支度時間にメイクルームに入るけど、彼らはメイクルームの鍵を開けて、暖房をつけて、コーヒーをいれて、といったことを全員でやりながら、しかも自分の役づくりもして映画に挑んでいった。その光景を目の当たりにしたことで、僕は僕で負けるものかと勉強して、本当に豊かなものづくりの現場でしたね」と振り返る。

「有り、触れた、未来」には、そのようにお互いに影響を与え合った人たちがほかにもごまんと関わっている。出演者、演奏者、支援者を合わせると1000人を超えるそうで、エンドクレジットに流れる名前の数は、日本映画としては最も多いのではないかと思えるほどだ。

「世の中に対して危機感を持って何とかしたいと思っている人たちなど、本当にたくさんの人につながっていったし、いろんな意味で勉強になりました。出資者の方の名前は全部は載せきれなかったのですが、全員を載せたらエンドクレジットはさらに何分も延びたでしょうね」と、山本監督は少しほっとしたような笑顔を見せた。

山本透(やまもと・とおる)

1969年生まれ。東京都出身。武蔵大学卒業後、フリーランスの助監督として舛田利雄、出目昌伸、工藤栄一、澤井信一郎、神山征二郎、大林宣彦の各監督らの現場に参加。2012年、「グッモーエビアン!」で監督デビュー。監督作として「探検隊の栄光」(2015年)、「猫なんかよんでもこない。」(2016年)、「わたしに××しなさい!」(2018年)、「九月の恋と出会うまで」(2019年)といった映画のほか、数多くのテレビドラマの脚本、演出も手がける。

舞木ひと美(まき・ひとみ)

1989年生まれ。宮城県出身。京都造形芸術大学(現京都芸術大学)卒業後、俳優として舞台、映画、テレビドラマなどに出演するほか、振付師としても数多くの作品に参加。2020年、主演、プロデュースした映画「あらののはて」(長谷川朋史監督)がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭で入選。そのほかの主な出演映画に「夫婦フーフー日記」(2015年、前田弘二監督)、「ゲームマスター」(2016年、石井良和監督)、「はらはらなのか。」(2017年、酒井麻衣監督)、「九月の恋と出会うまで」(2019年、山本透監督)などがある。

「有り、触れた、未来」(2023年/日本/132分)

監督・脚本:山本透

原案:齋藤幸男「生かされて生きる-震災を語り継ぐ-」(河北選書)

エグゼクティブプロデューサー:北山英樹、桑野ひさ子、湯浅香子、春山辰明 プロデューサー:角田道明 共同プロデューサー:和田有啓

プロデューサーチーム UNCHAIN10+1:舞木ひと美、中里広海、高品雄基、横須賀一巧、竹田有美香、宮澤佑、永田直人、平良太宣、龍真、ヒロシエリ、藤白詩

撮影:川島周 照明:本間大海 録音:岩丸恒 美術:大原清孝 装飾:松葉明子 衣装:佐野旬 ヘアメイク:金山貴成 助監督:森裕史 制作担当:貴船あかり

音楽:櫻井美希 和楽曲作曲・太鼓指導:千葉響 主題歌:THE武田組「こどもの日」

出演:桜庭ななみ、碧山さえ、鶴丸愛莉、松浦慎一郎、高橋努、宮澤佑、舞木ひと美、高品雄基、谷口翔太、岩田華怜、金澤美穂、淵上泰史、入江甚儀、麻生久美子、萩原聖人、原日出子、仙道敦子、杉本哲太、手塚理美、北村有起哉

共同制作:青い鯉のぼりプロジェクト 制作プロダクション:Lat-lon 配給:Atemo

2023年3月10日(金)から全国公開

ⒸUNCHAIN10+1

「生きる力を届けたい」と映画「有り、触れた、未来」を企画した山本透監督(左)と、プロデューサーチームUNCHAIN10+1の舞木ひと美=2023年2月9日、東京都渋谷区(藤井克郎撮影)

「生きる力を届けたい」と映画「有り、触れた、未来」を企画した山本透監督=2023年2月9日、東京都渋谷区(藤井克郎撮影)

山本透監督作品「有り、触れた、未来」から。10年前に恋人を事故で失った愛実(桜庭ななみ)は、悲しみを乗り越えて前向きに生きていた ⒸUNCHAIN10+1

山本透監督作品「有り、触れた、未来」から。蒼衣(中央、舞木ひと美)たち劇団員は魂をテーマにした演劇に打ち込む ⒸUNCHAIN10+1