自由に国境を越える映画づくりを
あそこに泊まったのが運の尽き、と冗談めかして話す。日中合作の「黒四角」(2012年)など、国境を越えて活躍する奥原浩志監督(53)の新作「ホテルアイリス」は、中国大陸に間近い台湾の離島、金門島で全編を撮影した日台合作映画だ。小川洋子の小説「ホテル・アイリス」を映画化した作品で、プライベートの旅行で宿泊した民宿が原作の世界観をそのまま再現したような建物だったことから、ここで撮りたいという思いが湧き上がった。「原作を読んだときの感覚を損ねることなく、そのまま映画にしたかった」と奥原監督は強調する。(藤井克郎)
★イメージ通りのホテルに遭遇
原作は1996年に出版された小説で、記憶はさだかではないが、恐らくそのときに読んでいるはずだという。その後、何か原作もので官能的な作品の企画を立ててくれないかという打診があったとき、真っ先にあの小説のことが思い浮かんだ。さっそく脚本を書いたものの、残念ながら日の目を見ることはなかった。「何とか撮りたいと思ってはいたのですが、もうないだろうなと諦めていました」と奥原監督は打ち明ける。
それが金門島への旅行で道が開く。2016年か17年のこと、中国の廈門(アモイ)沖に浮かぶ金門島を訪れたとき、島の中をうろうろしていたら「ホテル・アイリス」のイメージにぴったりの民宿を見つけ、すぐに宿を移った。観光客が押し寄せるような場所でもなく、普通に宿泊料金を払えば映画を撮らせてもらえるという感触を得て、どうしてもここで撮りたいとの思いが募っていった。
「ほかにもっといい場所があるかもしれないと澎湖諸島などにも行ってみたのですが、金門島に勝る場所はなかった。以前は完全に軍事の島だったので、撮影なんてとてもできなかったのでしょうが、今はそれほど緊張感はないんです。機材などすべて台北から運ばなくてはいけないのでコストの問題はありましたが、撮影に関してはすごく快適でしたね」と奥原監督。ちなみに監督が原作者の小川に聞いたところでは、原作のホテルはフランスの世界遺産の島、モンサンミシェルをイメージしていたらしい。
★日本語と中国語では発声が違う
映画の主人公は、海沿いの町で母親が経営するホテルを手伝っているマリ。ある晩、悲鳴を上げて逃げ惑う女に罵声を浴びせる男性客を目にして、マリは心が波打つのを感じていた。男は離れ小島に一人で暮らすロシア文学の翻訳家で、マリは次第にこの男にひかれていく。男の家を訪ねるうち、やがて彼女は男の命じるままに身を委ねるようになる。
翻訳家を永瀬正敏、マリを台湾のモデルでこの作品で映画デビューを飾ったルシア(陸夏)が演じるほか、台湾のリー・カンション(李康生)、マー・ジーシャン(馬志翔)に日本の菜葉菜、寛一郎らが出演。せりふも日本語と中国語が入り交じり、原作と同様、国籍不明のような印象の作品に仕上がっている。
永瀬のキャスティングは、日本側のプロデューサーの一人から提案された。それまでは全く頭になかったが、イメージしてみると、脚本を書いていたときには思っても見なかったような世界が広がった。
「脚本から離れれば離れるほど、映画というものはよくなっていくということがある。これはもしかしたら自分が思っていた以上の新しい見え方が出てくるかもしれないと思いました」と、奥原監督もすぐに同意したことを認める。台湾映画の「KANO 1931海の向こうの甲子園」(2014年、マー・ジーシャン監督)など、国際的な作品に数多く出演している永瀬は台湾でも人気が高いということも、決め手の一つだった。
一方のマリ役のルシアは初めての映画出演だったが、ものすごく肝が据わっていた。官能的なシーンに対する脅えなどは全くなく、むしろ演技にどれだけ集中するかを気にかけていたようだったと言う。
それ以上に監督がルシアに徹底させたのは、日本語のせりふだった。それまでも彼女は日本語を話すことができたが、正確な発声のために毎日2~3時間をかけて日本語の練習を積んだ。
「中国語と日本語は声を出す場所が全然違うということが分かって面白かった。中国語はどちらかというと喉でしゃべる感じだが、日本語は結構おなかから声を出さないとせりふになりづらいんです」と、さすがは長く中国に住んでいる奥原監督らしい分析だ。
さらに印象的なのは、ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)監督作品でおなじみのリー・カンションの存在だ。船着き場の寡黙な男を演じているが、「最初からシャオカン(ツァイ作品でのリーの役名)しか頭になかった」と奥原監督。撮影現場にはツァイ監督も来ていたそうで、「すごく感動しました」と目を輝かせる。
★めりはりの利いた台湾での撮影
撮影は2018年の暮れに3週間かけて行われた。すべて金門島での撮影で、日本からは監督と出演者のほかには美術の金勝浩一ら3人だけが参加。後は撮影監督のユー・ジンピン(余靜萍)を含めて、みんな台湾のスタッフだった。
「若者が多かったというのもあるかもしれないが、すごくやりやすかった」と振り返る奥原監督は、2008年に文化庁の海外研修制度で北京に渡って以降、中国を拠点に活動を続けてきた。2012年には中国で映画を撮るという目標を「黒四角」で達成したが、そのときにインタビューした際、「これができたことで、どこの国でも映画を撮れるんじゃないかと自信になった」と話していた。
今回、改めて中国での撮影との比較を尋ねてみると、「『黒四角』は結構前なので、今の状況は違うかもしれないが」と前置きをした上で、こんな話を披露してくれた。
「日本はみんな割と生真面目で、中国は逆に自由過ぎるところがあった。台湾はちょうどその中間で、めりはりが利いている。仕事はちゃんとやるし、仕事が終わるとみんなで楽しむ。ただ僕としては国が違うからといって気負うこともないし、やることは日本だろうとどこだろうと同じですね」
★しょうもないことを胸張ってやる
作品は、昨年2021年の3月に大阪アジアン映画祭、11月には台湾の高雄映画祭で上映されたが、コロナ禍の影響で高雄はオンラインでの参加と、観客の反応には接していない。台湾での公開はまだ正式には決まっていないが、「できればコロナが収まってからがいい。じゃないと現地に行けませんから」と期待を寄せる。
コロナ禍の現在、合作もなかなか成立しづらいのではないかと思うが、「他人のことはわからない」と言いながら、世界規模で映画製作を手掛けているネットフリックスなどが盛況な状況を見ると、好むと好まざるとにかかわらず、その手の合作が普通になっていくのではないかと指摘する。
「北京に行ったばかりのころ、現代美術の人との付き合いが多かったが、その人たちに触発されたところはあるかもしれませんね。いろんな国の人がプロジェクトごとにあちこち自由に行っては作品を作り、またみんなでどこかに行って、という感じなんです。ああ、こういうのってすごくいいなと思った。映画は個人作業じゃないので美術とは違うところはあるけど、僕も機会があればどこででも撮りたいですね」
そう話す奥原監督は、国境を越えて伝わる映画の魅力について、ちょっと不思議な気持ちも抱いている。
「音楽だったら国境に関係なく受け入れられやすいけど、映画は土着的な文化に根差したものですからね。それがなんでよその全く違う文化の人たちが見て理解できるのか。例えば『男はつらいよ』は日本とかけ離れたイスラムの世界の人が見ても笑うだろうし、そういうのは映画の面白いところかなと思いますね。しかも意図してやっているものじゃなくて、無自覚で作ったものが伝わるというのが面白い。現代美術は本当にしょうもないことを胸張ってやっている人が多いんですが、そういうのがいいかなと思っています」
◆奥原浩志(おくはら・ひろし)
1968年生まれ。映写技師のアルバイトのかたわら、8ミリで映画制作を始め、1993年、「ピクニック」でPFF(ぴあフィルムフェスティバル)アワードの観客賞、キャスティング賞を受賞。1999年にPFFスカラシップで撮った「タイムレス メロディ」が釜山国際映画祭グランプリを獲得する。ほかに「波」(2001年)、「青い車」(2004年)、「16[jyu-roku]」(2007年)など。
◆「ホテルアイリス」(2021年/日本、台湾/100分)
監督:奥原浩志 製作:北京谷天傳媒有限公司、長谷工作室、紅色製作有限公司 プロデューサー:李鋭、奥原浩志、陳宏一、浅野博貴、山口誠、小畑真登 原作:小川洋子(幻冬舎「ホテル・アイリス」)
撮影:ユー・ジンピン(余靜萍) 音響:チョウ・チェン(周震) 美術:金勝浩一 衣装・メイク:KUMI、花井麻衣 音楽:スワペック・コバレフスキ 編集:陳宏一、奥原浩志
出演:永瀬正敏、ルシア(陸夏)、菜葉菜、寛一郎、大島葉子、マー・ジーシャン(馬志翔)、バオ・ジョンファン(鮑正芳)、リー・カンション(李康生)
配給:リアリーライクフィルムズ+長谷工作室
2022年2月18日(金)から、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル池袋など全国で順次公開
©長谷工作室
「この作品とはこれからも長い付き合いになると思う」と語る奥原浩志監督=2022年1月20日、東京都渋谷区(藤井克郎撮影)
日本、台湾合作映画「ホテルアイリス」から。金門島を舞台に翻訳家(右、永瀬正敏)とマリ(ルシア)の官能の世界が繰り広げられる ©長谷工作室
日本、台湾合作映画「ホテルアイリス」から。奥原浩志監督が金門島で出合った民宿は、原作のイメージそのものだった ©長谷工作室