5年にわたってニュースの最前線を取材
元NHKのアナウンサーで、現在はジャーナリストとして活躍する堀潤さん(42)が映画を撮った。「わたしは分断を許さない」(3月7日公開)というドキュメンタリーで、香港のデモ隊やガザ地区のパレスチナ難民、さらには平壌での日朝学生交流など、ニュースの最前線で自らカメラ片手に取材を敢行する姿が映し出される。5年にわたって堀監督が追いかけてきた世界のホットスポットから見えてくるものとは――。(藤井克郎)
★「一緒に悩みますか」という関係
劇場公開に先立つ2月25日、東京・築地の朝日新聞東京本社読者ホールで、「わたしは分断を許さない」の完成披露試写会が開かれた。上映後には、堀監督とは知己の間柄というお笑い芸人、ウーマンラッシュアワーの村本大輔が堀監督とともに登壇。日ごろから政治的発言も辞さない村本は、映画の率直な感想として「テレビやSNSのニュースでは取り上げない、ものすごく大事な物語とか人の視線が詰まっている。いま起きているいろんな問題に対して、自分の心がどう感じるか、自分自身をチェックする一つの印になる作品でしたね」と賛辞を贈る。
村本は、映画の中で米軍基地問題に苦しむ沖縄の人や帰る場所を失った福島の住民、さらには難民申請が認められない来日クルド人らが「助けて」と大きな声を上げていることに着目。「堀さんはある種、彼らの声を届けてみなさんにバトンを渡したと思う。そのバトンを次の人に受け継ぐために何ができるのか」と来場者に投げかける。
これに対して、堀監督は「登場人物たちはみんな悩んでいる。国同士の関係とか、経済システムとか、世間の無関心とか、そんな中で何ができるのか悩んでいる人に、一緒に悩みますかという関係を築くことが、せめてできることなのかな、と。それが僕の原点ですね」と打ち明けた上で、「映画はいいですね。こうやってみなさんと一緒にじっくり考える時間が持てる。公開後は劇場にずっといようと思うので、ぜひまたお仲間と足を運んでください」と語りかけると、来場者から大きな拍手が沸き起こった。
★「小さな主語」で見つめる必要性
「わたしは分断を許さない」は、堀監督が5年をかけて撮りためてきた映像記録の中から1本の長編映画にまとめた作品だ。東京電力福島第一原発事故後の生業訴訟をはじめ、沖縄の米軍基地移設問題、ヨルダンのシリア人難民キャンプ、ガザ地区に暮らすパレスチナ難民、さらには北朝鮮、香港、沖縄と、堀監督自身がビデオカメラを手に各地を飛び回り、1人1人の声を拾い集める姿が映っている。
映画の中で堀監督は言う。「国」とか「私たち」とか大きな主語では本当の姿は伝わらない。できるだけ小さな主語で見つめる必要がある。こうして、例えば生業訴訟の原告団だと、かつて福島県富岡町で美容院を経営していた深谷敬子さんと、水戸市から子どもとともに沖縄へ移住した久保田美奈穂さんという2人の「小さな主語」に密着していく。
「生業訴訟は2013年の提訴から7年近く、ほぼ毎回、傍聴に行っています。期日の前には原告の集会があって、一緒にデモ行進にも付き添って歩くんですが、100人いれば100通りの被災状況があり、100通りの賠償の有無がある。そんな中、帰還困難区域で美容院を営んでいた深谷さんにお会いし、避難先の郡山の自宅を訪問してお茶だけを飲みにいったりするようになった。久保田さんも子育ての悩みとかあって、沖縄に2~3時間だけ行って、じゃあまたね、と帰ってきたりしたこともありました」と堀監督は振り返る。
★1つの声を上げても届かない
NHKにはアナウンサーとして入局した堀監督だが、岡山放送局に赴任した新人時代から、1人で現場を取材する毎日だった。
「ローカル局でも朝から晩まで生放送という時代で、人も金もない中、堀、行ってこい、といわれて取材して、夕方のニュースに間に合わせていた。そこで鍛えられましたね」
やがて東京に転勤すると、夜の「ニュースウォッチ9」のリポーターを務めることになるが、ここでも自らカメラを持って現場を駆け回る日々だったという。そのフットワークの軽さが今に生きている。
「カメラマンに、あれ撮ってください、これ撮ってください、じゃ間に合わないことはいっぱいある。報道に携わって20年近くなりますが、こうらしいですよ、とか、SNSではこうでした、とか、イメージや伝聞で伝えるのは僕の役割じゃない。漁師が海に出て初めて成り立つように、いつも現場に行って、こうでした、と言わないと。旧来のメディアへの厳しい目線もある中、違う現場の違う切り口から、本当に起きていることは何かをちゃんと見極めたいという思いがあります」
NHK時代の2012年、米ロサンゼルスに留学中に日米の原発事故の現場を取材。「ニュースウォッチ9」で放送する予定が中止になり、思い切ってNHKを退局して「変身-Metamorphosis」(2013年)という映画に仕上げ、劇場公開もされた。その後はフリーランスとしてラジオやテレビのキャスターのほか、SNSや執筆など幅広く活動。満を持して映画2作目となる「わたしは分断を許さない」を完成させた。
「前回の映画は忘却がテーマでした。あれほど大きなこと(東日本大震災)があったにもかかわらず、2013年の時点でもう忘却が始まっていた。忘却の先に何があるかと思ったら、今度はどんどん格差が開いて、分断を生んでいった。隣に関心を持つ、持たない以上に、隣を知らないし、かかわる必要もない。さらにかかわる必要がないように仕掛ける側も出てきたりして、最初から分断を狙ったプロパガンダを受け入れてしまう現象が出てしまっています」と映画化への熱い思いを語る。
「1つの社会問題に対しての見方、アプローチの多様性を示してくれるのが映画の魅力」という堀監督は、今後もさまざまな形で発信していくと強調する。
「ラジオ、テレビ、映画、インターネット、雑誌、書籍と、メディアごとに見ている人が違うんですよ。SNSでもツイッターとインスタグラムではかかわっている人が違う。1つの声を上げても届かないと思って、そのためにフリーになったということもあるんです」と、ますます意欲をみなぎらせた。
「わたしは分断を許さない」は、2020年3月7日からポレポレ東中野など順次公開。
「次の映画に向けての取材をスタートさせている」と意欲的に語る堀潤監督=2020年2月25日、東京都中央区(藤井克郎撮影)
「わたしは分断を許さない」の完成披露試写会では、上映後に堀潤監督(右)と村本大輔とのトークイベントも開かれた=2020年2月25日、東京都中央区(藤井克郎撮影)
ドキュメンタリー映画「わたしは分断を許さない」から © 8bitNews
ドキュメンタリー映画「わたしは分断を許さない」から。自らカメラを持って現場を取材する堀潤監督 © 8bitNews