明日もまた生きたいと思える舞台に
よく、映画は監督のもの、演劇は役者のもの、と言われる。撮影が終わると、後は監督の裁量で編集が施される映画に対して、演劇は舞台の幕が開いたら演出家は何も口出しができない。主に映画の分野で活躍してきた俳優、宮本なつ(40)が出産、育児を経て復帰を図る現場は、自身の原点とも言える演劇の舞台だった。2024年7月に表現活動の拠点としてchipokkeを創設し、第1回公演として太田省吾戯曲の「更地」に挑む。演出を手がけるのは、やはり映画を中心に監督、プロデューサーとして高い評価を受ける越川道夫(59)だ。(藤井克郎)
☆いろんな立場の女性を救うことができる
10月中旬の平日の夕まぐれ、東京都三鷹市の細い路地を入った集会所の一室で「更地」の稽古が行われていた。「小町風伝」や「水の駅」といった作品で知られる太田省吾の代表作「更地」は、家が解体された後の更地を舞台に、男女がこれまでの生活を回想し、これからの生き方を探っていくという2人芝居だ。集会所の畳敷きの大広間を舞台に見立て、「女」役の宮本と「男」を演じる嶺豪一(35)の2人が、しっとりとした会話主体の芝居を繰り広げる。傍らで台本を広げつつじっと見入っていた越川が、おもむろに稽古を止める。
「触り始める手がアップになっているつもりでやってほしい。そのあとで男を見る、男が動き始める、そこにせりふが乗っている、じゃないと。言えるようになっていないのにせりふを言うと、それは言わされてしまうことになる。とにかくせりふに言わされないように」との越川の指摘に宮本がうなずく。
宮本がchipokke第1回公演に「更地」を選んだのは、越川の影響が大きい。越川監督の映画「二十六夜待ち」(2017年)、「あざみさんのこと」(2020年)に出演している宮本だが、今年初めに久しぶりに会って子育てのことや仕事のことを相談した際、「合うかもしれないから読んでごらん」と言って送ってくれたのが「更地」の戯曲だった。
「1人目を妊娠したとき、産んだらすぐに子どもを預けて現場に行けるとイメージしていたのですが、思った以上に動けなかった。2人目が生まれると1人のとき以上に身動きが取れず、パニック症にもなって余計に人に会うことが難しくなって……。このままやめちゃおうかなと思ったときもあったのですが、『更地』を読んだとき、この役はいろんな立場の女性を救うことができるんじゃないかと思ったんです。自分のためのお芝居ではなくて、誰かのために演じることができるんだったらもう一回やってみたいな、とスイッチが入りました」と宮本は振り返る。
☆何度でもやり続けるこだわりの第一歩
一方の越川にとっても「更地」は特別な作品だった。映画の助監督を辞めて、東京・池袋の名画座、文芸坐で映写の仕事をやりながら仲間と芝居をやっていたころ、「更地」の初演に際して演出助手を探しているという話が人を介して持ち込まれた。
「もともと太田さんが主宰していた転形劇場のファンでずって見てきましたから、やります、やります、と飛びつきました。太田さんがどう芝居を作っていくかを見たかったのですが、稽古場に入った初日から、毎日2回の通しをやって終わり。最初の通しなど太田さんは全く出演の2人を見ない。ずっと髪をいじってうつむいている。で終わったら演劇論を20分くらいしゃべって、ということです、と言う。え、どういうこと? 俺はさっぱりわからないぞ、と思ったら、お二人は、はい、って言ってまた通しを始めるんです」
1992年の1月に行われた初演の出演者は、当時60歳前後の瀬川哲也、岸田今日子のベテラン2人だった。稽古の後、瀬川と喫茶店に行った越川が、太田の発言について「わかりましたか」と聞いたら、瀬川も「一つもわからない」と答えたという。その後、転形劇場のメンバーだった俳優の大杉漣が、越川がプロデュースした映画の仕事で一緒になったときに「僕も年を取ったら『更地』と思っているんだよね」と話してくれたことがあったが、大杉は「更地」を演じる前に亡くなってしまう。
「そのころは僕が監督をやる、演出をやる、なんて想像したことがなかったので、自分がやるとはわからないままずっと頭の中で『更地』を反芻していた。戯曲であれ映画の原作であれ、こだわり続けるものは何度でもやればいいと思うし、『更地』は今回が最初、ということなんでしょうね」と越川は思いを吐露する。
☆自分が生まれてきたことを認めてほしい
この公演で宮本が旗揚げするchipokkeは、基本的には宮本1人による活動拠点で、演劇に特化するのではなく、何でもできるようなものにしておきたいと思っている。俳優を養成するアクターズクリニックの出身で、小劇場への出演からスタートした宮本は、中編映画「ひとまずすすめ」(2014年、柴田啓佑監督)の主役を演じて本格的に映画に進出。「SYNCHRONIZER」(2017年、万田邦敏監督)などで存在感を発揮してきたが、「振り返ると、がっつりとお芝居に携わってはいなくって、それが自分の中で引っかかっていました」と言う。
「chipokkeは形を決めず、工場とか家とか家族とか、いろんな種類になれればいいなと思っています。子育てなどで動けない時期に、自分は誰にも求められていない、すごくちっぽけな存在だなと思って、そんなちっぽけな人たちが集まって何か表現したら楽しいんじゃないかというのが命名の由来です。ちっぽけだとそのまま過ぎるから、子どもが言い間違えたみたいにしたら面白いかなと遊びを入れてみました」といたずらっぽく笑う。
2人の思いが詰まった「更地」は初演からすでに30年以上がたっているが、その伝えるものは少しも色あせてはいないと口をそろえる。男女が住んでいた家はどうして更地になったのか。この30年の間には阪神大震災も東日本大震災も熊本地震も能登地震もあったし、世界に目を向ければウクライナやガザ地区など悲惨な戦争が後を絶たない。「災害のことが直接的に描かれているわけではないが、この戯曲をやろうとしたら、どうしてもそこに関わってくる。亡くなった人のこと、失われた土地のことを考えざるを得ない」と越川が言えば、宮本も「もしかしたらこの世に生きていない2人かもしれないとか、子どもを亡くした人なのかとか、いろいろ想像してもらえたら」と話す。
「この女性は、一生懸命に生きているのになかなか認めてもらえない、でも自分が生まれてきたことを認めてほしいという気持ちがあって、年表や教科書にはいろんな事実が書かれているけれど、そうじゃないことがいっぱい欲しい、という部分がすごく自分の中に響いたんです。ただ、こう感じてください、というのはなくて、届く人に届いてくれればいい。お芝居を見て、また明日も生きたいと思ってくれる人が一人でもいたらいいな、という気持ちですね」と宮本は舞台への期待を口にした。
chipokke第1回公演「更地」は2024年11月8日(金)から10日(日)まで全6回、東京・三鷹のSCOOL(https://scool.jp/)で上演される。チケットの申し込みはCoRichサイト(https://ticket.corich.jp/apply/334255/)まで。
chipokke第1回公演「更地」の稽古風景。嶺豪一(左)、宮本なつ(中央)の芝居を演出の越川道夫がじっと見つめる=2024年10月15日、東京都三鷹市(藤井克郎撮影)
chipokke第1回公演「更地」の稽古風景。嶺豪一(右)、宮本なつ(左)の芝居に演出をつける越川道夫=2024年10月15日、東京都三鷹市(藤井克郎撮影)