コンペなしでも劇場体験を実現
東京国際映画祭が11月9日、幕を閉じた。33回目を数えた今年は、新型コロナウイルスの影響で、来日ゲストなし、コンペティションなし、という異例ずくめだったが、大勢の観客を入れて大きなスクリーンで上映できたのは、まずは喜ばしい限り。東京フィルメックスと時期が重なったこともあり、ほとんど映画を見ることはできなかったが、最終日のクロージングセレモニーは取材に駆けつけた。そこから見えてきたものは――。(藤井克郎)
東京国際映画祭のクロージングに出たのは22年ぶりのことだった。産経新聞文化部の映画担当記者として取材した1998年の第11回映画祭は、ちょっと苦い思い出がある。
この年の10月21日まで社内留学のため米ロサンゼルスで暮らしていて、映画祭は帰国後すぐの31日からの開催だった。自宅もまだ探している最中で、目白のウイークリーマンションから当時のメーン会場だった渋谷に通った覚えがある。
最終日の11月8日は新聞休刊日に当たり、翌日の朝刊は発行されない。でも映画担当だから取材しないわけはいかず、事前にデスクに「休刊日ですけど、取材してきます」と声をかけてBunkamuraのオーチャードホールに出かけた。記事は後日、文化面で展開しようということだった。
結果は、最高賞の東京グランプリに輝いたのは、見逃した「オープン・ユア・アイズ」(アレハンドロ・アメナーバル監督)だったが、監督賞の「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(ガイ・リッチー監督)や若手監督に贈られる東京ゴールド賞の「故郷の春」(イ・グァンモ監督、公開時のタイトルは「スプリング・イン・ホームタウン」)などは見たし、芸術貢献賞を受賞した「スモーク・シグナルズ」(クリス・エア監督)は米滞在中にナンタケット映画祭で見ている。いろいろと書き込めるな、と思って翌月曜、のんびりと出社すると、大阪出身の部長に大目玉を食らった。「夕刊の原稿、どないなっとんのや。死刑やで!」
その翌年には映画担当を外され、ついぞ在職中は一度もクロージングセレモニーを取材する機会はなかった。
その後、東京国際映画祭は、メーン会場が渋谷から六本木に移り、やれ仕切りが悪いだの、商業映画も芸術映画もごちゃまぜで方向性がわからないだの、不満の声が耳に入っていた。こちらはおいしいとこ取りで、来日したゲストへのインタビューなどちょこちょこつまみ食いしていたものの、映画祭に真正面から向き合ったことはなかった。
と、前置きがめちゃくちゃ長くなってしまったが、2020年の第33回映画祭である。海外から審査員が呼べないということでコンペティションがない代わり、昨年まで設けられていた別部門の「アジアの未来」「日本映画スプラッシュ」と統合して、「TOKYOプレミア2020」として32本の新作映画をメーンに上映。その他、公開間近の注目作が中心の「特別招待作品」、日本公開未定の話題作をそろえた「ワールド・フォーカス」、さらには「ジャパニーズ・アニメーション」「日本映画クラシックス」と、コロナ禍でよくぞここまで集めたなというくらいたっぷりのラインアップだった。
そのうち、当方が見たのは「TOKYOプレミア2020」の日本映画たった2本だったものの、大勢のお客さんが来場ゲストとのQ&Aとともに、映画を目いっぱい楽しんでいることがうかがえた。その点、外国映画はゲストがいなかったことから厳しかったかもしれないが……。
クロージングセレモニーは、国際的で華やいだ雰囲気だった記憶のある22年前とはえらく様相が違ったが、コンペティションがないのだから当然だろう。唯一、上映後の観客による投票で決まる観客賞だけが発表され、大九明子監督の「私をくいとめて」が受賞。壇上に上がった大九監督は「いろいろな映画祭が配信だけで行う中で、この東京国際映画祭は実際にお客さまをお入れして、同じ劇場で同じ時間で一緒にスクリーンに向かって映画を見るという体験を実現させたということは、本当に素晴らしいことだと思います。まだまだ出歩くことが安心できない中で、チケットを取っていただき、劇場まで足を運んで映画をご覧いただいて、かつ点数を入れてくださった。そうしたお一人お一人の貴重な一票が私どもにこの賞をくださったのだと、いつも以上に感慨もひとしおです」と感謝の言葉を口にした。
この作品、実は当方が今回の映画祭で見たたった2本のうちの1本だった。東京国際映画祭の不思議なところは、映画を見ると取材ができず、取材をしようとすると映画を見ることができないというジレンマがある。というのも、プレスパスで入場できるのは、P&I(プレス&インダストリー)上映と呼ばれる上映会で、ほとんどの場合、一般の観客は入場しない。一方、チケットを販売する普通の上映は、プレスパスで見ることができず、ゲストが舞台挨拶やQ&Aを行うときだけ取材陣が入場して、カシャカシャとシャッターを切っておしまい。これまでカンヌ国際映画祭のほか、釜山や香港の国際映画祭にもプレスパスで参加したことがあるが、一般客と一緒に映画を見ることができたんだけどね。
そんな不思議なしきたりの中の例外が、メーンのTOHOシネマズ六本木ヒルズではなく、六本木通りをはさんで斜め向かいにあるコンサート劇場のEXシアター六本木で行われる上映のときだ。ここは900人以上が収容できる大劇場で、P&I上映も一緒にやってくれる作品がある。11月5日の「私をくいとめて」もP&I上映を兼ねていて、大手を振って一般客と一緒に大九監督や主役を演じた女優ののんら来場ゲストの挨拶を取材し、映画を楽しんだ。
上映後には、大九監督が出席して、会場との間でQ&Aも催されたが、これが何とも不可解なものだった。映画祭のQ&Aと言えば、一般客と映画人が直接、意見や質問を交換できる貴重な場であるのに、質問するのはみんなどこかの媒体に所属しているマスコミ人間ばかりなのだ。質問するときに、わざわざ「〇〇の誰それです」と名乗っているから、会場の全員に媒体名が知れわたる。そりゃ、聞きたいこともあるだろうけど、マスコミだったら改めて取材を申し込めばいいだろう。映画ファンの希少な機会を奪っているという自覚はないのだろうか。
クロージングセレモニーでも、傍若無人に映画祭スタッフに文句をぶちまけていたカメラマンがいたし、隣の席に陣取っていたお姉さんは、観客賞を受賞した大九監督や主演ののんの挨拶のときはカタカタカタカタと一心不乱にパソコンをたたいていたかと思えば、最後の安藤裕康チェアマンの挨拶のときは、その向こう隣の兄ちゃんとぺちゃくちゃおしゃべりをする始末。思わず、しーっと手で制したが、どこの記者なのだろうと所属を聞きたくなった。
常々、日本の映画界は、洋画邦画を問わず、作る側(制作)にも売る側(配給)にも見せる側(興行)にも、映画を愛する人がいっぱいいて、その情熱は世界に引けを取らないと思っている。ただ残念ながら伝える側(報道)の映画愛はどんどん希薄になっているような気がしてならない。だから本当に面白い映画が、すてきな映画が、それを必要としている人の元に届かない。せっかく映画祭で世界中の多彩な映画に触れるチャンスなのに、大勢の人に会場に足を運ばせるまでに至らないのだ。22年ぶりにクロージングセレモニーを訪れて、自分も含めて大いに反省しなくては、という思いを強くした。
観客賞を受賞して、アクリル板越しに主演ののん(右)と微笑みを交わす大九明子監督=2020年11月9日、東京都港区のTOHOシネマズ六本木ヒルズ(藤井克郎撮影)
「私をくいとめて」の舞台挨拶には大勢のマスコミが詰めかけたが、多くのカメラマンは上映が始まる前にそそくさと退出した=2020年11月5日、東京都港区のEXシアター六本木(藤井克郎撮影)